中国の故事・成語

このページは中国の故事・成語を紹介します。面白い話を出来るだけ多く掲載するようにしますので、お楽しみに。但しこのページは他のサイトへのリンクページとなりますが、ご了解ください。

  • 西施  中国の4大美女の一人。「魚溺れる美女」 彼女を見た魚は泳ぐことを忘れ溺れてしまうほどの美女


  • 牛耳を執る 古代中国で諸侯が集まって同盟をする時の一儀式  
の耳を取り裂いて血をすすりあって、神前に誓いを立てる。この時盟主(最も尊いもの)が牛耳を取り、最初に血をすするのが通例である。昔戦国時代呉王夫差が「晋」の定公との間の同盟を結ぼうとした時、この「牛耳を執る」ことに固執し、ついには晋の定公を奇襲で打ち負かし、自らの盟主としての「牛の血」をすすった後、越王勾践との戦いに急ぎ取って返した話は有名。
その後今日でも「首領・Top」になることを「牛耳を取る」と云うようになった。 


画龍点睛
  南北朝の南朝の梁国に張僧ヨウという大層画が上手な将軍がいた。彼の描く絵はあらゆるものが生けるがごとく描き出した。日本の左甚五郎みたいな人だったようだ。ある時彼は金陵(今の南京)の安楽寺から頼まれ二匹の龍の壁画を描いた。彼の描いた龍は素晴らしく今にも天にも昇る勢いであったが、ただ不思議なことに二匹の龍には目が描かれていなかった。かれは皆に答えて、「目を書くと龍は天井をけ破って点に飛び去ってしまう」といったが、周りにせがまれてついに一匹の龍に眼を入れた。その途端雷鳴がとどろき、鱗を光らせた龍が壁をけ破り天上に上ってしまった。呆けたような人々が後にみたものは、壁に残った一匹の龍の絵だけだった。

 葉公の竜 うわべはもっともらしく見えるが、実際はそうではないことをいう。
 昔、春秋時代に葉公と云う領主がいました。彼は龍が大好きで身の回りの物、家具など全てに龍をあしらったデザインを入れていました。天上の龍はこれを知って大変喜び、彼を訪ねました。ちょうどその時彼は一心不乱に龍の絵を描いていたが、龍が天上から降りてくるのを見て、恐れ慄き逃げ出しました。彼が龍を好むというのは結局嘘だったのです。

   蠢蠢欲动 悪事を働く人が、機会を狙っている

    春风得意 とんとん拍子に出世などして得意満面な状態

   春风满面 いかにもうれしそうな表情

   春寒料峭春に肌寒さを感じる

   春华秋实 才徳兼備

   春兰秋菊 春はらん、秋は菊 評価の対象になっているものが其々に優れ、
 抜きん出ている

   春满人间 すっかり春めく

   春蚓秋蛇 春のミミズ、秋の蛇 悪筆のたとえ

    望梅止渴 三国時代魏の軍が道に迷って、水がなくて兵士が水なくて困った時、曹操が前方に            梅林があるぞと言って励ましたので、兵士は唾が出て一時渇きを癒したという
           故事による


    酒池肉林(「中国故事物語」 河出書房)
夏の傑王は人並みすぐれた武勇才智に恵まれた王であった。しかし、自ら打ち滅ぼした有施氏の国から貢物として献ぜられた妹喜(ばっきと読む)に溺れ国を滅ぼすことになった。かれは妹喜の為に宝石や象牙をちりばめた宮殿を営み、その奥の寝室で淫乱を極めた。しかし妹喜の要求は日々に増大し、彼女の要求に従って、宮園の一角に大きな池が作られ、その池には美酒がなみなみと注がれ、又池の周りには丘になぞらえ肉の山が築かれ、立ち木の代わりに肉の林が作られた。三千の宮廷の美女が池の周りで音楽に合わせて踊り狂い、合図の鼓で池の酒を飲み、肉を貪る狂態を王は妹喜と共に見て悦楽の境地に入るのである。
この歴史は繰り返され、後の殷王朝の王も元々はやはり人並み外れた立派な王であったが、彼自ら打ち滅ぼした有蘇氏から贈られた美女姐己(だっきと読む)に心を奪われ、傑王と同じように酒池肉林の宴を催し、国は滅びる。

酒は百薬の長 
「酒は百薬の長」この言葉は漢書の中に記された、新(前漢と後漢の間に14年間だけ続いた国)という国の王である王奔が下した詔の一節から出たという。もともと儒教の聖人周公を手本にして、五均(五大都市に官を設け、商工業と物価の統制をおこなう制度)と六幹(国家からの金貸し、貨幣の鋳造、山林や河沼の管理、塩、酒、鉄の政府直轄事業)の制度でそれに倣おうとした。しかし地方の長官はこの制度を悪用し金儲けを計ったため、かれの思惑とは逆のものになってしまった。そこで彼は再度、「其れ塩は食肴の将、酒は百薬の長、嘉会の好、鉄は田農の本」なる詔を出し趣旨徹底を図ったが、人民の暮らし楽にならず国は乱れて、内乱が発生し彼も失脚し全身切り刻まれて死んでしまった。彼自身前漢の皇帝を毒殺し自ら皇帝に地位を乗っ取ったもので、ある意味では自業自得ともいえるが、なんとも血なまぐさい話である。
この話政治家、大企業、官僚が蔓延る現在のどこかの国の出来事とよく似ているのではないだろうか。もっともさすがに切り刻まれることはあるまいが・・。
虎穴に入らずんば虎児を得ず (参考:「中国故事物語」 河出書房)
これは後漢の時代、班超という人が匈奴を相手に大立ち回りをしたときに放った言葉である。彼の父親、兄弟はあの「後漢書」を書き著したほどの家で、かなりのインテリではあったが、相当に度胸の据わった人物で勇壮活発な人であったらしい。西域でまるで講談に出てくるような話に登場している。 彼は西域の国で、その国の王と匈奴が誼を通じて、彼らを殺そうとしていることを察知し、夜襲を掛け敵を殲滅している。
彼はしり込みをする部下をずいっと睨みまわし、「手を扶いてこのまま敵の術策に嵌り、匈奴の餌食になどなってられへん。意見のある者は誰でもいいきに、遠慮なくいうてみいや」というたけんど、反対するもんは誰もおらんがぜよ。「虎穴に入らずんば虎子を得ず、匈奴の宿舎に火を放って夜襲を仕掛けるぜよ。味方がわずかの無勢とはびっとも思わん奴らは、ただ大騒ぎするだけと思うちゅうきんね」

これに応じて、獲物をひっつかんだ命知らずの荒くれどもは、闇のなかへ消えて行ったがやき。折りからの風に乗じて、鼓をもった十人が虜舎のうしろへ隠れ、のこりのもんは門の両脇に伏せ合図を待よったがや。火があがると同時に鼓を鳴らし鬨の声をあげ、数倍の敵を皆殺しにしてしまったが。ゼン善が屈伏したのは、いうまでもありゃあせんが。こたあない。 ( 『後漢書』班超伝 )

桃源郷 晋の人である陶潜の作った「桃花源記」に登場した故事

昔ある所に一人の漁師がいた。彼がある時、谷を魚を求めて遡上していると、桃の林に遭遇した。 落花降りしきり、すこぶる美しい。桃の林の奥深く、漁師は小さな山の口を探し当てた。対に船を捨て岸に上がり、入って見るとその中は小さな小道が縦横に整備されて、幼い子供も老いた老人も皆楽しそうにしており、衣食は豊かで、寒さや憂いもなくまるで皆この世の人ではないみたいである。彼はそこで2,3日歓待を受け帰って来た。帰り際村人からこの村の存在について誰にも言わぬよう口止めをされたが、彼は目印をつけ帰って来た。彼はそれを君主に報告した。多くの人がこれを辿ったが誰もその入口を見つけることは出来なかった。近年これに似た村が実際に発見され話題になった。これから後の世の人はこの世の外の「桃源」という言葉が人の世の仙境を形容するようになった。
桃園の契り 
劉備と関羽、張飛は咲き誇る桃の木の下で兄弟の契りを結んで、同年同月同日に生まれることはないが死ぬときは一緒だと。契りを結んだ後、天下を取る志を抱く故事である。

これは月下老と氷上人という二つの逸話を一つに結びつけた言葉から生まれたものである。以下「中国故事物語」(河出書房新社)より 
月下老
先の月下老というのはその昔唐の時代に韋固という若者があちこち旅して、宋城というところに辿りついた。その時は月の光が煌煌と照る夜であった。街角で白いひげの老人が何やら書物をひも解いて調べている。聞いてみるとかれはこの世の結婚のことを調べているという。独身ものの韋固は興味を覚え、「私の将来の妻はどこにいるのか」と聞くと、老人は「それならこの街の陳という野菜売りのおばさんが抱いている赤ん坊があんたの奥さんだよ」という。韋固はたわいもない話と忘れてしまっていた。それから10数年の後彼は相州という所で官吏をしていたが、郡の太守の娘と結婚をし幸せに暮らしていた。しかしいつかの老人の言葉が気になり、妻にその話をしたところ、「実は私は太守の養女です。実の父は宋城で役人をしている時なくなりましたが、優しい乳母が野菜を売りながら私を育ててくれたのです」という。何とも不思議な話である。

氷上人
 もう一つは、晋の時代にある占い師がいた。狐策という人が夢を見て、その占いを頼みに来た。夢というのは、「狐策は氷の上に立っていた。氷の下には誰かいてその人と話をしたのですがどんな意味があるのでしょう。」というのに答えて曰く、「氷の上は陽、氷の下は陰。陰と陽が話をするというのは結婚をする前兆だ。結婚の時期は氷の解ける頃」。その通り狐策の所に太守から仲人をしてほしいという頼みが来た。結婚の時期は雪解けの春であった。

仲人のこと月下氷人
 この二つの逸話を結び付け、中国の人は仲人のことを月下氷人と呼ぶようになった。なんとも乙な話ではないか。




  • 七病八痛  様々な病気
  • 七长八短  長かったり短かったり不揃いなこと 帯に短し・・とは違う
  • 七搭八搭  話にとりとめがない
  • 七颠八倒  話が乱雑で整っていない。ひどく混乱している
  • 七零八落  ちりじりばらばらである
  • 七扭八歪  曲がりくねっている
  • 七拼八凑  あれこれ寄せ集める七七八八  雑然としている
  • 七上八下  心が乱れる様
  • 七折八扣  割引に割引を重ねる
  • 七嘴八舌  多くの人が方々から口を出す
  • 七死八活  幾度も死ぬ思いがするほど苦しむ

  •         老馬の智 春秋時代の五覇のひとり、斉の公をたすけた名宰相、管仲に係わる故事
    桓公がこの管仲、シュウ朋らを従えて小国を討伐すベく兵を起こしたときのこと。
    攻撃の往路は春でだったが、戦い終えて帰路につくころには、季節はいつしか冬になっていた。肌をさす寒風と悪天候下での行軍は、往路とはまるで違ったきびしさだった。
    山を越え、谷を渡り、難渋しながら行軍するうちに、桓公の一軍はいつのまにか道を失ってしまっていた。激烈な寒気のなかでふるえながらも、隊長たちは、あの方角ではないか、いやこの沢を渡るのではないか、などと確信もなく、度を失っていると管仲があっさりと、「こんなときには、年老いた馬であれば、本能的に道をさがしあてるものだ(老馬の智を使うべきだ)」。そこで駄馬の中から一番の老馬を選んで車から解き放ってみると、馬はしばらくあたりの様子をさぐっているようでだったが、やがてある方角に進みだした。これについて道なき道を行くうちに、老馬はついにもとの道に行きついて、軍兵は凍えることなく無事行軍を続けることができたというのである。
     老馬の智とは、なんでも知っていると、どんなにこざかしげにしても、その知恵が老馬や蟻にすら劣ることがあるものだ、つまり、どんなつまらぬ人間と思われていても、人はそれぞれの得手や特徴をもっているもの、だということになる。