2012年5月30日水曜日

日本の国名「倭」と「委」:漢字の起源と由来


以前に紹介した司馬遼太郎さんと陳舜臣さんの対談本「中国を考える」の中で、二人が「日本」と言う国名について語っている。そこに面白い話があったので触れてみたい。

聖徳太子が遣隋使に託した国書の波紋

 聖徳太子が中国の隋の国王に送った国書で「日出る国の天子が日没する国の天子に送る」という文言を聞いて隋の帝が烈火のごとく怒ったということが通説になっている。
 しかし隋の帝が生意気だと怒ったのは「日出る・・」ということではなく、「倭」として言ったから、失礼だと怒ったのではないかという説があり、司馬氏もそのように思うと言っている。中国の帝国の国名は秦、漢、隋などのように全て一字である。それなのに蕃国の日本が倭という一字で言ったので「失礼なやっちゃ」となったらしい。

国名「日本」の始まり

 それ以降日本は中国に配慮して「日本」と改めたということである。昔は中国の周辺の蕃国は2文字の国名で呼ばれるのが普通だったらしい。




漢の光武帝の金印

1784年福岡市で発見される。後漢の光武帝が下賜した
ものと考えられている。上段の中央が小篆の「委」の字
 さてそれ以前は魏志倭人伝の中で金印を魏の国王から賜っている。ここには「漢の委の奴の国王」と記されており、「倭」ではなく「委」という漢字が使われており、倭のほうが通りやすかったのだろうが・・。また「倭」であるか「委」であるかはそれほど重要なことではなかったらしいが、いずれにせよ「倭」が通称として、使われている。 


「委」と「倭」の起源と由来

  「委」は会意文字である。甲骨文字は「女」と「禾」の二つの象形文字の組み合わせである。左辺は「女」で、右辺は「禾」である。小篆の形は甲骨文字と同様であるが、字形の構造上「禾」の位置が上に来て、「女」が下に来ている。これは現在の楷書の構造と同じである。

穀物が成熟した時穀物の穂は枝葉の上に垂れさがるように湾曲する。この為「委」には曲がるという意味がある。男子と比較すると相対的に女子の体と気力は弱く、古人は禾偏を女に加えて、女性が相手の意思に従うことを表したものだ。委従、委順の言葉の中の委の字は委細、従順の意味である。
「委」は「矮」の中で使われ、小さいという意味を表す。「倭人」も小さい人という意味で、ある意味で蔑称だったかもしれない。

「委」の漢字あれこれ

  • 委の字は隷属、委託を表すのにも用いられる。
  • 捨て失くすの意味から、回避するの意味が出てくる。委過、委罪の様に過ちや罪を回避する。
  • 委の字は多くの読みと意味がある。Weiと読むときの他、委蛇は山の中の道や川が曲がりくねることを表している。

 

2012年5月29日火曜日

問題の核心は「核問題」ではないのか? 「核」:漢字の起源と由来


国会の事故調と原子力村
5月29日の毎日新聞で、国会の原発事故調査委員会(事故調)で菅元総理の事情聴取が行われ、その一問一答が報道されている。このやり取りの中で、菅元総理は事故調の中で原発事故対応において、「原子力村」の存在そのものが、極めて阻害要因として機能しているという意味のことを指摘していた。以前から原子力村は電力会社の「イチジクの葉」としての役割を担い、電力会社はその維持の為、膨大な金と尽力とコネを使ってきた。そして肝心かなめの時には、「想定外」という一言でその責任逃れを繰り返してきた。そして、その状況はこの場に至っても改善されず(むしろ悪化している?)、原発の再稼働に向け、血眼になっているように見える。

事故調とマスコミに対する杞憂
私が危惧するのは、今事故調でのやり取りに関するマスコミの問題の捉え方で、非常に由々しい傾向がうかがわれることである。それは、「全て菅首相の個人的責任になすりつけ、問題の核心を隠蔽しようとしているのではないか」ということだ。 
あのような異常事態において、たとえ一国の首相といえども、イライラすることもあっただろうし、瞬間的にはものの方向も見失うこともあっただろう。あってはならないけれども、ありうることである。要はそのことをいかに回避するシステムにするかということだ。
いま報道の論点が、「菅首相のイライラした対応、下手に技術屋であったばかりに技術的な細目に目を奪われた、東電に乗り込んで直接口を出し現場を混乱させた」というようなことばかりがクローズアップされている。しかし、ある意味彼がそうせざるを得なかった背景にはあまり触れられず、「彼が事態の後追いばかりに汲々としている」という論調が目立つのである。今マスコミがしなければならないのは、個人的な資質の問題に焦点を当てることであろうか。個人的な問題にすりかえれば、結論は一つ、別の人間であればうまく行ったであろうというとんでもない結論が待っているだけであろう。
そのことは、原発事故と同じではないか。あってはならないことでも、あり得たことであるし、実際にあったことで、起こってしまったことだ。それをあり得ない、絶対安全だと繰り返してきたのは、東電をはじめとする電力会社であるし、それのおこぼれを貰ってきた「原子力村」であるし、御用学者であるし、国機関であるし、長年それを推進してきた自民党、公明党ではないだろうか。

事故調は「何をなすべきか」
確かにあのような国存亡の危機の時にあってはならないことを、絶対起こさないようにするためのリスク回避を如何にすべきかということである。その点について、菅首相は「脱電発とすべきで、一時は安全を確認しながら推進することも考えたが、誤りであった」と述べている。
原発をなくすることによって、国全体で被るべき問題(例えば、エネルギー不足など)は代替エネルギーを開発すべきであろう。大きな視野に立って、その方向性をはっきりと打ち出すべきであろう。

事故調は事故の調査がその使命であろうから、原子力そのものに云々する立場でないだろうが、それにしても、決して個人的な問題に責任を転嫁し、問題点をすり替えてはならない。
原発がなければ事故調自身も必要がなかったであろうから


最後に、このサイトの使命は漢字の起源と由来を探ることである。

「核」:漢字の起源と由来

漢字源では、「会意兼形声。亥(ガイ)は、ぶたの体の芯に当たるかたい骨組を描いた象形文字で、骸(ガイ)の原字。「核」は、「木」+「亥」で、木の実の固い心をいう。

左は「亥」の金文文字である。

唐漢氏の解説には「核」については触れられていない。「亥」については、別の機会に紹介しよう。


2012年5月27日日曜日

「叶」は葉のこと 「葉」(叶)の起源と由来は


現在中国語では「葉」を「叶」と書く 
  以前からいくら簡略化と言え、このように似ても似つかない漢字を当てはめたのだろうと不思議に思っていた。調べてみてようやく納得がいった次第だ。


繁体字の「葉」に簡体字「叶」が当てられた理由
 「叶」という字の繁体字は「葉」という字である。つまり以前は「葉」という漢字を使っていたということである。しかし、出来るだけ書く数を減らすという漢字の簡単化の作業を進める中で、「叶」と定めたものである。
 ではどのようにしてこの似ても似つかない漢字が当てられたのかというと、古代の音のグループの中で、「葉」という漢字と同じ音を持つグループに「協」という字が属していた。この「協」という字の異体字(古体字)に「叶」という漢字があったことから、「葉」の簡体字は「叶」と定められたようである。

「葉」の変遷
「叶」は「葉」の簡体字と同時に古代においては「協」
の異体字で全く同じ意味
甲骨文字の「叶」の字は象形文字である。上部の三つの点は枝の上の葉の形をしている。金文の葉の字の上部は横が短く変形し、小篆の「葉」の字はこの変化により、「世」と「木」の会意文字になっている。「世」は即ち草木の葉の生え替わり繁衍していくことであり。繋がり断たれることがないことである。
楷書(繁体字)では「草かんむり」が加わり、葉の本来備えている性質を表明している。現在の簡単化された「叶」の字は同音の近い「協」の字の借用である。(「叶」は元々「協」の字の異体字・古体である。)中国語で葉を意味する時は「叶」とかいて、Yeとよむ。


「叶」は「協」の異体字、では協という字の起源は
「協」は力が三つあり、それを合わせることの意味
しっくりいっているという意味にも用いられる
  「协」は「協」の簡体字である。甲骨文字の「協」の字は三個の「力」が並列に並んだ合体会意文字で、共同協力を表す。一緒に種を播くの意味である。金文の「協」の字は甲骨文字を引き継いでいるが下に口が加わって、多くの人の声を合わせ力を合わせることを強調している。小篆では下部の口が簡略化され、逆に十の字が加えられ人数が多いことを表示している。
 説文にも「協の本義は協力、協作、協商等の様に共同して力を出し合うことと知るべし。」とあるようだ。
協は古文の中では睦まじく打ちとけ合う、調和がとれているの意味も表わす。中国語で「叶」と書いて、Yeと読むときは「葉」、Xieと読むときは、協力するの意味に使うようである。勿論协」と書いても何ら問題はない。

何かと不協和音の多いこの世、皆力を合わせてしっくりと行きたいものだ。


2012年5月25日金曜日

孔子は野合の子というコンプレックスに苛まれていた?: 「野」の起源と由来

昔学生運動の渦中にあった時、セクト同士が自らの主義・主張を置き去りにして、当面の利害で結びつくような行動をとった時、「野合するな」と怒鳴ったものだ。その時は、何も考えずに使っていたが、今思うと随分下品なことを言っていたものだ。英語で言うと「Fuck you!」と変わりがないのだから。

「野」の原義は樹林の中で行われるセックス  
「野」は樹林の中で正式な儀式もなく行われる
性交為をさし、古代には下劣なものとみなされた
   「野」:甲骨文字の野の字は林の中に一個の「士」がある。会意文字である。士は成年男子の生殖器で林は野外の樹林を指す。この事から野の字の本義は野合である。即ち男子が荒れた林の中でセックスを敢行することである。 

殷商の時代は性行為は神聖なものであった
 殷商の時期、男女の間の性行為は一種の集団活動で、かならず祭祀をして、飲食など交歓が進行される。夜の帳が下りると氏族の成年男子は氏族の間の相互に固定的な伴侶を伴い関係する氏族の住居地に行き、その女性と同じ祭祀神祇や祖先に祈る。それから既に祭祀を通して祖先の神霊の酒肉お供え品を食べ、その中で伴侶と一緒に歌舞音曲を楽しみ最後に男女の性交で、次の交歓が可能になるのである。

 
「野」で行うセックス(野合)は下劣と思われていた。
 野は一人の男子が荒野の林の中で行う私的なセックスで、当時の先民の歯牙にもかけないものなのだ。だから野には卑劣とか下劣という意味がある。
 史書には孔子は父母の野合の末生れていていると書かれている。ここでの野合は荒れた樹林の中の性交のことであり、婚約のない関係のいい加減な行為あると思われた。 

生活様式の変化はセックスの形態にも変化を与える
古文の野の字は将に「士」の字は「土」に変化している。字を使って意味を明晰にし、また一個の「予」を加えている。「予」の字の上部は▽で下部は上矢印で、性行為を表す。小篆の野は即ち「里と予」を用いた会意で、セックスの場所が荒れた林から田んぼと土に変わっている。大体農耕文明が進行した後、村の周りの高粱畑が荒れた林に取って代わり、ついに自分の家の作物畑の中でセックスせざるを得なくなったことと関係をしている。

「野」という文字の使われ方
「野」は郊外を指す時はこの本義からの延長である。「牧」の字の本義が牛や羊の放牧あったのが拡張されたと同じである。《尔雅》は「村の外は郊という、郊外は牧という。牧の外は野という。しかしこれは等しく城邑の中心に源を発し、放牧と野合は地理的な位置関係を言っている。《乐府诗集》のなかで有名な歌は、天蒼、蒼、野茫々、風草を吹き牛や羊が見える。ここの「野」は広野を指す。 

2012年5月22日火曜日

漢字の起源と由来:悠久の昔から受け継がれた姓「羌」


このところ司馬遼太郎さんに嵌っている。その彼の「街道をゆく 20」は「中国・蜀と雲南のみち」は彼が昭和56年に成都から雲南へと辿った道の少し古い紀行文である。

 私も先日北京から成都に入り、四川を遡り九賽溝をめぐった後、三峡を少し下って来た。もっとも私の場合は完全な観光旅行であり、司馬さんのいわば取材旅行とは趣をずいぶん異にするも、もう少し自分の足跡をトレースし直すのも悪くないと考えている。

 それはさておき、彼の「街道をゆく」の中で、少数民族のチャン族のことが触れられていた。そこでこのチャン族のチャンという漢字に焦点を当ててみたい。

 このチャンという漢字はピンインでqiangと表現するが漢字では「」と書く。もう一つ「姜」という字があり、まったく同じ字形をしており、原義も殆ど同じである。ただ羌は男のチャン族であり、姜は女のチャン族を表しているという。 そしてこの姜という字は上古の氏姓制度の名残りとして今日の「姓」に受け継がれている。

 現代ではチャン族の人々は、人口30万人と言われ、青海、チベット、雲南の各地に分布し、少数民族としての文化大切に(頑固に)守りながら生活している。司馬氏は「街道をゆく」の中で、このチャン族は殷周帝国の祖先ではないかと推察している。周族の女性にこの姜を名乗る人も多かったというのも司馬氏の推察の根拠になっていたのかもしれない。

 羌qiang、姜jiang共に羊に関係する特殊な字である。この2個の字は全て一つの古くて且つ多難な民族に関係している。彼らの世代は牧羊で、羊で自己のトーテム崇拝をしている。彼らの宗教はアミニズムをである。そしてそれは生活様式と融合し今日まで受け継がれている。 

 羌は甲骨文字では羊と直立した人の合成字であらわされる。字形の構造からみると、十分人が羊の首を飾ったように見える。さらにこの事は牧畜の生活様式と密接に関係している。

 殷商の甲骨卜辞中、非常にむごいことだが、多くの羌人を生き埋め、叩き切り、焼き払い、手足をバラバラにした後に祭祀品に当てたという記載がある。

 羌人は元々古代の中国の西部(今の山西省、陕西省一帯)の遊牧生活をする部族を指していたが、北方の遊牧民族も含まれるようになった。羌人は祖先から遊牧業を守り抜いてきたし、漢族と結婚もし、混血して生きてきた。但し中原の漢族の不断の征伐と凌辱を受け、次第にはるか西北部に追いやられてきた。漢代の時人々は西羌と呼び、北宋時代には突厥と呼称し、或いは唐の時代にはトルファンと呼んだ。後日、青海とチベットの少数民族に融合している。


2012年5月17日木曜日

10000クリック達成

おかげさまで、昨日10000クリックを達成した。こんなにあまり面白くもないページをよくもこれほど多数の方々に来訪いただけたのかと思うとある種の感慨に包まれる。
 
 何はさておき、ご来訪いただき、ありがとうございました。

 読者になって頂いた方は、このページの管理者である私をどのような人間と思っておられるのだろうか。

 私は自分で言うのもなんなんだが、私は非常に不器用で、いろんなことに拘泥する性質で、あまりすっきりとした人間ではないと自認している。(自嘲のように聞こえるかもしれないが・・)
 これから先あまり時間は残されていないが、多分今更生き方を変えることはできないと思っているので、あまり肩をいからせず、好々爺然としていきたいと思っている。さだまさしさんの「関白宣言」じゃなく、「不器用宣言」とでも言おうか。しかし不器用さは何も宣言しなくても、いいものなので結局なにもいっとらせんということだ。
 
 さて、たわごとはこのくらいにして、この「クリック」という言葉は中国語で、「点撃」というのだそうだ。

 この「点撃」の「点」も「撃」も甲骨文字はなかったようで、金文や小篆から文書の中に姿を現している。
 「点」という字は「火族」に括られるそうで、点以外に「火族」の漢字といえば、部位に「火」を持つ漢字、火偏の漢字、下に四つ点がつくものが入る。この四つの点は旧字であればよく分かるが、大抵は「黒」という字にその典型を見ることができるが、「火」という字が変化したものである。ざっと例を挙げてみると以下のようになる。


「黒」という字の「古文字」である。下部には「火」という字が見られるが、ある説では、これは火ではなく、「人」という字という解釈もある。
(「象形字典」http://vividict.com/より)


火光炎焰烛粦烟灰炭烬票照煦焕烁然焚烧燎炼煽熄炊熹蒸者庶炙舜煎熬炮烙灸尉爆燥烘灼炽热烈灾屠黑点党幽煌炯烂赤赫
 以前紹介した「羔」という字も火に関係している。意外に感じるのは、「党」という字である。これは旧字では、下部に「黒」という字が入るからなるほどとうなづける。日本でも中国でも同じであるが字の簡略化は、やむをえないことではあるが、その由来は歴史的変遷が分からなくなってしまうという重大な欠点を内在している。

 だからこそミーハーでもいい、私のように不器用に甲骨文字にしがみつく人間が居てもいいと思っている。

2012年5月14日月曜日

白川文字学と唐漢説の分かれる所

私がここで紹介している唐漢さんの甲骨文字に関する説は、おそらく中国の中でも亜流の説であり、本流とは認められていないようだ。事実彼の著書の表紙には「奇説」という言葉すら記載されている。

 一方白川博士はわが国を代表する推しも推されぬ漢字学の権威の一人である。

 白川静さんの漢字学の大きな中心をなす概念(サイ)に関連した文字だ。白川文字学の大きな功績のまず第一に挙げられるのが、「口」が「くち」ではなく、神への祝祷の祝詞を入れる器「サイという名の器」であることを体系的に明らかにしたことだということだ。(小山鉄郎著 「白川静さんに学ぶ漢字は楽しい」より)


 そして、「口」の字形が含まれる漢字は非常にたくさんあるが、古代文字には、「耳口」の意味で構成される文字は一つもないという。


 しかし、ここで疑問がでてくる。「耳」、「鼻」、「目」、「首」、「手」、「脚」等身体の部位を示す字形が含まれる漢字は古代文字には沢山あるにもかかわらず、なぜ「口」の意味で構成される記号「口」が一つもないのだろうか。

 また白川先生によると基本的に甲骨文字は時の王が自らの宣旨や命令を記録するために生まれたのであり、王の宣旨は卜辞や占いの形をとって為されることが多いため、必然的に甲骨文字は宗教色や卜辞の色彩が色濃く反映されたものだとのことである。

 話は変わるが、つい先日司馬遼太郎氏と陳舜臣氏の対談の文庫本を読んだが、その中に面白い話を見つけた。それは「跪」という漢字に話が及んだとき、当時はまだ褌というものがなく、男もすその割れるような服を着ていたので、跪く時には一物がもろに見えて大変「危険である」ことから足偏に「危ない」と書いて「跪く」としたのではないかということで、少し話が盛り上がっていた。跪くのは別に男に限らないし、多少は話を面白おかしくしているところもあるかも知れないが、この両大作家の解釈はまさしく唐漢氏と発想は同じくするものであり、独断ではないのだと意を強くした。ちなみに唐漢さんの本の中には、「跪」という漢字に関する記述はない。というのは、この漢字は甲骨、金文の時代にはまだこの世にはなかったからである。

 漢字というものは、漢字の構成および構造だけからは捉えられない奥深いものを持っているとを痛感させられた話である。


 白川氏自身が漢字学から入った学者ではなく、考古学から入った学者だと誰かが少し難癖のようなのものをつけていた人もいたが、入り口は何処であろうと、彼は大学者である。しかし問題はそんなところにあるのではなく、その人が史的唯物論の立場に立っているかどうかが分かれ目のような感じがする。すこし大上段(大冗談??)過ぎるかなあ。

 私のような人間がこのような口幅ったいことを言うのはあまりにあつかましいと非難が聞こえてきそうであるし、私自身もそんな感じを持っている。浅学のそしりは、甘んじて受けねばならないだろう。

2012年5月10日木曜日

「乳」という漢字の起源:実に微笑ましい

 この甲骨文字を見て思わず笑ってしまった。「こりゃ、まんまじゃ!」。象形文字ではないか。あえて言えば、情景文字とでも言えようか。たしかに厳密には象形文字とは言えないかも知れない。

 しかしよくできた漢字だなとつくづく感心する。「孕」もすばらしかったがこれも素晴らしい。

乳房を出して子供に母乳を与える。
誰も異存のない描写ではかなろうか
  「乳」これは会意文字である。甲骨文字の「乳」は一人の母親が胸の前に乳頭を出し、両腕で子供におっぱいを吸わせている情景の様である。この為「乳」の本義は乳を与えることである。即ちおっぱいで子供を養うことである。

  小篆の「乳」は字形が調整され、両腕が手に変化している。母親の形状は乳房を表す形になっている。但し乳を与えるという本義に変化はない。楷書の「乳」は小篆の隷書化から来ている。

 「乳」字は哺乳の意味から引き出され乳汁と乳房の両方の意味が出てきた。母乳、練乳は共に乳汁を指す。「胸をはだけて乳を出す」の「乳」は乳房の意味である。又この拡張は乳汁も乳房と同じようなものを指すのに用いられる。乳濁液、鍾乳石などである。また哺乳の対象から引き出され、生れたて、幼少のものを指すこともある。 乳鶏(ひよこ)などという。

2012年5月7日月曜日

「才」はサイかはたまた衛生帯か:漢字の起源をさぐる


解釈の相違か世界観の相違か?

「才」のイメージ:木の標木に「サイ」を取り付けた
(「白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい」
小山鉄郎著 新潮文庫より転写)
  
同じ漢字でも解釈でこうも違うのかと考えさせられるものの一つがこの「才」という字である。白川博士によると「才」は目印の木として立てた標木の上部に横木をつけた十字形の木の部分に、祝詞を入れる「サイ」と呼ばれる箱をつけた字というのである。(イメージは右の図の通り)

因みにこの「サイ」というのは白川博士の漢字学の根幹をなすもので、多くの解釈では四角形「□」は口(くち)と考えられているが、先生の解釈では、これは口ではなく祝詞を入れる神聖な入れ物「サイ」というものだということである。確かに博士の言うように漢字とはそもそも王の占辞を記録するために作られたものであり、最初から神がかり的なもの、神聖なものであったと考えれば、うなづけるものである。

サイ
この説に基づけば、今から紹介しようとする唐漢氏の説など身震いが出るほどの卑猥な解釈と受け取られるのではなかろうか。


唐漢氏の説
甲骨文字の「才」
「才」これは象形文字である。甲骨文字の「才」は女性の生殖器の符号である▽の上に一本の長い縦線を付け加え、女性が月経のときに使う衛生帯を表している。


 金文の「才」
金文の「才」は甲骨文字に似ているが女性の生殖器の符号の「▽」の中が塗りつぶされている。これは金文が青銅器の鋳型を作ることから来る変化であった。小篆の「才」は既に現在の楷書に似ている。
才の字形は女性の月経時の月経帯から来ている。この種のものは実用的で欠くことが出来ない。また拡大解釈で「有用物」も表わしている。有用物は「才」と表すが如く、役に立たないものは「不才」と称する。女性が「才」を使うと性の発育が成熟したことを言う。この為人の本質的能力にも拡大解釈して、才気、天才などと用いる。「才」は又「材」の字の初めの形である。木材或いは材料は皆ズボンの股の布のように縦長の形状をしている。且つ有用なものになる。よって木に旁の才を増やして木材の材を表す。 
結びにかえて
いつも言うことであるが、このサイトの目的は学説の真偽を見極めることではない。このような考え方もありうるということを知ることである。
 今の世の中「あり得な~い」という言葉がはやっているが、この世の中60億の人間が住む世界に「あり得ない」という言葉は初めから存在しないのだ。「あり得ない」という言葉そのものに「発想の貧困」が垣間見えてくるのは私がおかしいのだろうか。



2012年5月6日日曜日

日本の空を覆う「黒」:その漢字の起源と由来はいかに


 検察審査会の持ち込んだ裁判で、小沢氏に対し無罪判決が出された。もともと検察側は起訴に否定的であり、裁判には勝てないという判断になっていたにもかかわらず、検察審査会では2度も起訴相当と判断され、裁判に持っていかざるを得なかった。しかしその裁判で無罪判決になった以上速やかに幕引きを図るべきである。それが出来ないのは小沢氏が現時点での消費税増税反対論を掲げていることに対する政治上の懸念と取られても仕方がないことであろう。
 私は民主党が前の総選挙で大勝をした時には、小沢氏は自民党のいわば本流の部分であり、民主党は出来るだけ速やかに、小沢氏と決別すべきであると考えていたし、小沢流のやり方にはとても同調出来るものではないと考えていた。
 しかしながら、その話と今回の小沢氏を巡る指弾の話とは全く異なるもので、魔女狩りの様に世論を操作し自分の思う方向に持ち込もうとする権力のやり方にはとても賛同できない。権力に阿り、それに手を貸したマスコミも強く非難されるべきと考える。このやり方は戦前の絶対的天皇制の暗黒政治を想起するもので、日本の将来に暗澹たる黒雲を導くものであろう。

 さて本題の「黒」は、昔からあまりいい印象を持たれていない。それはどこから来たのか。甲骨文字の中でどう捉えられているのか分からなかった。知っている方あれば、お教え願いたい。

「黒」の古代文字はやはり黒かった?
 黒これは一種の会意文字である。金文の「黒」の字の上部は黒煙のデッサンである。その中の黒点は煤を表示している。下部は炎の字であり、火で焼いた時黒煙が立ち上る状態を表示している。
小篆の形は金文に似ていて、楷書の上部で、火が土に変化を言っている。下部の4点は火で、この種の変化は,構成が美しく書くのに便利である為のものである。
黒の本義は黒煙でそこから延長されて、黒色と「白の反対」を示す。

今でも黒色は黒、これでは救いようがない?
 現代漢語中では、黒色はいつも赤色に相対し、黒で反動、悪毒、地下等等一種の比喩の意味で出現している。黒心、黒手党、暗黒統治、黒市などなど。 

2012年5月4日金曜日

ロマンの月:漢字の出生の秘密


五月の「五」の出所については先日説明をした。

  今日は「月」について解説しよう。しかしながらこの字は感覚的には非常に明瞭で、いまさら解説しようもないかもしれない。 

  「月さま、雨が・・」というのは日本で幕末に活躍した土佐勤皇党の首領、武市半平太に芸者が寄り添って傘をしだす時に言ったセリフということである。因みに月形半平太は武市半平太のことだ。これだけ聞けば、月形半平太は大変な色男で、月とは我々にとって昔から何かロマンチックなものを感じさせるものである。

  天の月は時に丸く、時に欠ける。丸い時は少なく、欠けている日が多い。もし円形で月を表現したら、日の字形と似たものになってしまう。しかし甲骨文字の月の字は欠けて丸くなく、明らかに湾曲している。月は満ち欠けの変化をし、太陽は欠けない。古人は月の中に一点の小さな点を加えることで、特別の意味を持たせ、月の上の影を表示したり、或いは満ち欠けを表示しているかもしれない。

  月の満ち欠けの変化は循環し、非常にはっきりしており、この為に古人は月に生命の意味を与えた。
  
  子供たちに月の上の影は山姥、ウサギ、金木犀の木などと話しする時、子供たちはあなたがでたらめを言っていると思うだろう。都市の上空で月を見ることは既に非常に少なく、時に顔を見せることもあるが、薄暗く、光は少なく、そこでどうしてウサギや金木犀を見ることが出来るだろうか。車の排気と工場の煙突は子供たちの視覚に変化をもたらし、彼らに古人のロマンの彩りを想像させることすら難しくなっている。いまや昔のロマンを感じるのはできなくなってしまったのだろうか。

 ついでに月婆といえば、中国では産婆のことを指すらしい。また月下氷人とは仲人のことを言う。またこの月下氷人というのはいささか古い言い回しで、現代では「紅娘」と言う方が通じる様である。いずれにせよ月婆とか月下氷人といえば、産婆とか仲人というより、なんとなく美しく聞こえるから不思議なものである。

2012年5月1日火曜日

漢字の「五」はどこから来たの?:漢字の起源と由来


「光陰矢のごとし」と言われるが、ほんとに年月の経つのは早いものである。つい先ごろ生れたばかりと思っていたら、もう片足を棺桶に突っ込んでいる。体感時間は年齢に反比例するものらしい。つい先ごろ年賀状を交換し終わる間もなく、桜が咲き、もう五月である。

 さてこの「五」であるが、日本と中国では数の数え方がずいぶん違う。「指折り数えて」の通り、日本では数を数える時、まず手を広げておいて、親指から順に折って、カウントする。ところが、これが相手に伝えようとするときは、もっと明示的に示され、人差し指を立て、2の時は人差し指と中指でVサインを作る。このように日本語は相手がある時と自分自身でカウントする時で表現方法が異なる。私は日本語がどちらかというと相対的な要素の濃い言語の証左と思う。所が中国語はもっと絶対的で、相手があろうとなかろうと一は人差し指を一本立てる、二の時は人差し指と中指をそろえて立てる、これ以外の選択肢はないようである。そして「五」のときは全ての指をそろえて立てるのである。日本語では相手に「五」を示す時は手を広げて、掌を相手に向ける。自分でカウントする時は全ての指を折るのである。
では数字の「五」という字はどこから来たのだろうか?
 唐漢氏の説明は少しややこしい。
  五は象形文字である。甲骨、金文の五の字は、掌を上に上げ他人に面と向かった時の掌のことである。五指を描くことはあまりに煩雑である。古文中では手や有の字などがあり混沌としている。
  
この為殷商の先民は掌で五の上下の枠を作り、上部の4指と掌の心で分割し両半分を作った。且つ交差することによってXの表示とした。即ち上部の三角形で4指を表示し、下の三角形で掌の中心と親指を表した。上下合わせて掌、掌の5指、以て五とした。小篆の五の字は金文を受け継ぎ、形も美しく美観を備え対象の中に変化が出来た。将に左辺の斜めの縦の曲線が下に伸びた。楷書は隷書への変化の過程で、この曲線は横おれ縦に変化して、今日の五となった。 
 私にはなぜ交差をしなければならなかったのか分からない。漢字の世界は奥が深い。現在では中国では「五」を右の画像の様に表現する。このおっさんの手の中指は長すぎるので、手の周りを囲んでも四角形にはならないが、たとえ別の手を持って来ても、唐漢氏の主張にはいささか違和感を覚えるが・・。
 
 ともかく日本の数え方にしろ中国のそれにしろ、10進法でカウントする限り片手では五までしか数えられない。しかし、2進法でカウントすれば片手で31までカウントできる。
 
 さてここでヒント。左の画像は何を表しているだろう。日本では云わずと知れた、スリ、泥棒である。
しかし中国ではこれはれっきとした数字の「九」である。
所変われば品変わるとはこの事だろう。