2012年3月30日金曜日

中国の櫻、日本の櫻の違い:その由来と語源

日本人にとって桜はやはり格別である。一面のサクラの花の下で、花吹雪に身を晒されて、初めて本当の幸福感を感じるようなところがある。今日本の高知では桜が満開である。この2,3日で東京でも開花し始め、一週間から十日の内に全国で開花を迎えるようになる。


中国でも少し時期がずれるが、桃色の美しい花をつける木がある。幹も桜と同じように濃いあずき色で、光沢があり、横に縞が入って全く桜の木と同じようである。しかし、微妙に違うのでこれは何の木かと尋ねたら、桃の木という。なるほど、三国志にもある、劉備、関羽、張飛が義兄弟の契りを結んだ花というのはこの花なのかと一度は納得したものの、これが本当に櫻なのか、桃なのか未だにはっきりしない。中国人は植物の名前などに知っている人はあまり多くないようで、花の名前を聞いても私の方が詳しかったりするので、あまり当てにはならない。私はこれは日本とは種類が違うが、桜の木と考えている。


中国渤海湾の沿岸の都市錦州に咲く
桃?の花。櫻に本当によく似ている
花のトンネル 中国でも非常に美しい
 
  昔学生の頃、コンパで歌った歌の一説に「桜という字はやっこらやのや、二階の女が気(木)にかかる気にかかる」というのがあった。桜の旧字は木偏と二つの貝を並べてその下に女と書くという綴りを謳ったものだが、この歌も最近では聞けなくなった。昔のように野卑なバンカラな風潮は姿を消してしまった。さて、桜の字はどこから来たのだろう。甲骨文字は見出させなかった。初めからないのかもしれない。唐漢先生に尋ねてみることとしよう。
櫻(繁体字)は二つの貝と女から出来ている。何を意味しているのか。女の子は幼児期のころ小さな装飾品を集めるのが好きである。砂浜の上の美しい貝殻に穴をあけひもで結んで首にかけるのは非常にいい装飾品だ。上古の時代この種の装飾品で身を飾るのに夢中になった。貝殻の装飾品で身を飾った女の子は「婴」(yingと発音する。桜の旧字の旁の部分)と云った。
   桜の種類には2種類がある。一つはサクランボの木だ。春には花が咲き、花は五弁で色は薄紅、清らかで優雅で美しい。果実は紫紅色で、甘い味がする。俗称桜桃といわれる。これは果実を収穫するための桃の木である。また別のサクラは即ち桜花の木である。この種類は花の鑑賞の為の植物で日本の国花でもある。
 桜は木偏とYingの組み合わせで、ボタンや山茶花とは似ていない。一花一花単独で開き、しかも木の実は固まって密生し実をつける。ちょっと見上げると色とりどりまじりあって、まるで仙境にいるかのように錯覚する。当然サクランボの実は紅色の瑪瑙の玉の様で、一枝に4,5個から7,8個で同じではない。
 以上のことから桜の原義は女の子が身に付けた貝殻で出来た装飾品(桜貝?)のような美しい花の木ということらしい。

2012年3月28日水曜日

「甘」 語源と由来


  ある民族の文化の深度を計る尺度は結局はその民族が持つ言葉が豊富であるか否かによって決定する。
  南洋のある民族では味覚を表す語彙がすこぶる少ない。例えば全ての味覚を「sweetnonsweet」で表す。この地では長くイギリスとフランスの共同統治であった為にフランス語と英語が共存しているが、あらゆる味覚はこの2語であらわされる。非常に単純である。つまりその人にとって美味しければ"sweet"、美味しくなければ"nonsweet"である。ところが中国語にしても、日本語にしても、味に関する語彙はすこぶる豊富である。それは主体者の主観的な感覚に依存することなく、絶対的な評価をもつ。つまり「甘い、辛い、酸っぱい、苦い」という基本的な語彙以外に「甘酸っぱい、ほろ苦い」などなかなか表現できない中間的な味覚も登場する。つまり言いたいのは語彙が豊富であれば、それだけ認識の分化が進んでいることを意味し、文化がそれだけ発達しているということである。
  その意味では一つの文化にしても、例えば味覚に関する語彙がどのように生み出されてきたかを見ることも面白いかもしれない。
 さて、前置きはこれくらいにして、漢字の由来に話を移そう。
甘の字の短い横棒は舌の位置を示す
 「甘」これは指事字である。甲骨文字の「甘」という字は口の中に小さな横線を加えたもので舌のある所を示している。だからここで最も甘いという味を知ることが出来る。小篆の「甘」という字は甲骨文字に良く似ている。楷書は横線が長くなり、却って口の形が失われている。
古代中国人は味感の分類中「甘」はどのような刺激的な味も伴っていないと表示した。《春秋繁露》曰く「甘いものは五味の本である。 《庄子・外物》で言うには「彻为甘」(口は甘味に徹するなり)このことは甘味口に最もよく合うだから口当たりがよく、違和感のない味感であるという意味である。「甘」から造られた字に「甜」(甘い、心地よいという意味がある。また砂糖大根の甜菜の字にもなっている)がある。これは「甘」の意味から大きく変化したもので、「酸っぱい、苦い、辛い、しょっぱい」の5味の一つである。河南地方の方言では塩入りで、砂糖入りでもないスープを甜湯という。甜はここでは味のないという意味でもある。

2012年3月27日火曜日

「醜」と「丑」 語源と由来

「醜」は酒の上の失態を表した字
 「酒」と同じ部首を持つ漢字に「醜」という字がある。この字は日本では醜いという意味に使われるが、中国でも同じである。
「醜」は会意・形声文字である。甲骨文字の左辺は「酉」で酒を表し、右辺は「鬼」の字である。酒に酔っての失態を表し、人をして悪い感じを与える意味である。小篆と楷書の「醜」の字は一脈通じる。漢字の簡略化の時、この「醜」という字は「丑」の字と統一しようとした経緯もあり、現在では「丑」は「醜」の簡体字となっている。
  「丑」と「醜」は源は異なる。意味は両字とも同じではない。「丑」の字源は「嬰児が出生時に手をにぎりしめていること」から来ている。この十二支の2番目。「醜」は元来酒の上の失態から来ている。鬼と同様で人の憎悪を起こさせる。 
 昔、日本では酔っ払い天国といわれて、酔っ払いというのは寛容に見られていたが、中国では昔から酒の上の失態は「醜い」ものとされ不名誉なことと見られていたのは、字の上からでも容易に頷けることである。
 しかし、中国も、李白の様な人間は別格と見られていたようだ。彼は豪放磊落であり、しかもかれの権力に拘束されない姿勢が、酒の上の失態を帳消しにしていしまう見方が支配的なのかもしれない。
 酒の上でことでも世間の目はさらに厳しくなっている。くれぐれもご用心あれ。これは自分への戒めだ。

2012年3月26日月曜日

「酒」よもやま話と漢字「酒」の起源と由来

 中国の酒は地域ごとに製造機法と独特の味,香りを持っていてその種類と名前が多様で、約5,000種以上に上ると云われている。 中国酒は製造方法により大きく分けて白酒,薬味酒,黄酒に分類される。 

 白酒は一般蒸留式透明な色の酒でよく白干だと呼ぶ。酒の主原料は高粱であり、とうもろこし、小麦、エンドウなども原料で使われる。 蒸留式技法で製造される白酒のアルコール度数は38-60%間で、透明な色を持っている。 代表的な酒としては古井貢酒,五粮液,茅台酒,孔宝家酒などがある。一般的に香りがきつく最初は腰が引けてしまうが、慣れるとこの「くせ」に嵌ってしまう。
 薬味酒は白酒に色々な漢方薬などを添加して、糖分を含む酒で製品の類型はリキュール酒に属する。 代表的な酒としては五加皮酒、竹葉青酒などがある。  
 
 黄酒は米を原料とした醸造酒で、揚子江南部が主要生産地で紹興酒が有名である。この為中国南部では紹興酒が好まれ、北部では白酒が多く呑まれているようだが、最近では、ビールの需要が大きくなってきている。
ビールは青島ビールが有名だが、ハルピンビール等地産のビールが結構販路を伸ばしている。近年は宴会では白酒が結構呑まれるが、日常生活ではビールがシェアが伝統的な酒より需要は大きくなていると思う。
  私も元来酒が嫌いな方ではなかったので、中国ではいろいろの酒を飲んだ。押し並べての感想は、
1.                   中国酒は一般的に製造過程に独特の香りを持っている。
2.                  また、どの酒もそこそこの品質を保っているように思える。つまり中国人は酒であまり嘘をつかないのでは?(酒の上でという意味ではなく)酒そのものは真面目に取り扱っているように思えるという意味だ。
3.                  千差万別とは思うが、そこそこの酒を安く飲めるということだ。びっくりしたのは天津の地酒(白酒)を500cc2元で替えたということものあった。日本円で30円である。
さて漢字の「酒」について立ち返って見よう。

「酒」これは会意文字であり、形声文字でもある。甲骨の字の酒の字は「酉」の字である。即ち酒瓶の象形文字である。両側の曲線は酒が溢れ出している様を表し、また酒の香りが四散しているとも理解できる。金文の酒の字は水の字を用いて、酒が大きな酒瓶に入った液体であることを強調している。 
 小篆の酒は左側に水の字を加え、液体であることが強調されている。右辺の「酉」は盛器を表示している。楷書は小篆を引き継いでいる。 
酒を飲むこと及び酒文化が盛んになると強く人の精神を恍惚とせしめようになる。上古先民の意識の中では、酒は人々の虚ろで幻想の世界に入るのを助け、一種の人と神の関係を橋渡しする霊的なものを備えていると考えるようになった。その為に祝い事、神霊の祭祀から兵士の出征等すべてに酒を離れることが出来なくなった。酒ある方に祭りあり、酒ある方に宴ありの状態に達するまでに至った。 
 しかし上古の時代には先民たちは未だ酒を十分飲むことはなく、酒は医療や病気に用いていた。これは□(医の旧字)の字には酉がつく理由である。
  殷商時期、酒は人々が大変好んだもので、祖先祭祀、出征の時、愛を交歓する全て時に時酒から離れることはできなかった。アルコールは殷商民族のプライドを実際以上に誇大にしたため(一種のアルコール中毒)、征伐は頻頻で残酷であった。アルコール中毒の為出産率が低下た。「醜聞天にも聞こえた為天は降りて来て殷を滅ぼし周に取って代わった」と言い伝えられている。つまり殷は酒で滅んだということだろうか。夏の傑王の淫乱から生まれた諺(成語)に「酒池肉林」がある。

2012年3月24日土曜日

古代の「育」と「毓」の由来と起源

 このブログを起こしてからもうすぐで2年になる。
そこで改めて原典を見直してみようとパラパラページをめくっていたら、漢字の面白さを再認識させられるような「目から鱗」の漢字にぶつかった。
今までアクセス数ばかり気にしていた自分の動機の不純さを思い知らされ、今後自分が楽しむことに力を注ごうという気になった。アクセス数はその結果自ずと付いてくるものであろう。
描写のリアルな点はなんともすごい
現在では氏名、地名にしか使われない 


さて、その漢字は今ではほとんど使われないが、古代中国では「育」の異体字として使われていた「毓」という字である。これはYuと読むが、この甲骨文字たるや自分にとってはある種の衝撃を受けたといってもいいような文字である。


毓」は「育」の字の異体字となっている。甲骨文字、金文の「毓」の字は皆一人の婦人が今まさに出産している状況を描写している。
女の人の下には下を向いた子供の形があり、今まさに嬰児が母体から分娩して来ている様子である。逆さの子供の下の方の小さな点は、分娩時の羊水の流出を表している。

現代ではこの文字が原義を代表している


小篆は金文を受け継ぎ字形構造はほぼ同じであるが、図形の持ち味は消失して、「毎」と「寛」の会意字になっている。ここで何で「寛」なのかは理解できない。は母の髪飾りを指していたことから拡張され年配の女性、盛んなることを表す。


 「毓」の本義は生育である。また出産をも表している。又毓と育は両形とも異型同義語である。此方の字「育」は、子供視点に立っているとも云えないだろうか。

2012年3月21日水曜日

漢字の成り立ちと生い立ち


  漢字は象形文字の代表のように云われてきた。しかし古代文字の中でも漢字の中でいわゆる象形といえるものはわずかに10%に過ぎないと云われている。それ以外の90%のものは会意文字といわれるものであったり、形声文字と言われるものであったりする。いずれにせよ体系だった象形文字が突如としてこの世の中に出現したなどとは考えがたく、その原型のようなものがあったはずと考えられている。
  象形文字として動物の骨や亀の甲に刻みこまれた甲骨文字の中でも最も基本的なものは300文字とのことであり、その300文字が組み合わされたりして出来た文字は精々1500文字程度である。
 さらに時代を下って、青銅器などに刻印されたり碑文として残された金文文字の種類は3700種になった。この金文文字は基本的に青銅器などに鋳込められる文字であった為に、甲骨文字に比べ線は太く、いくらか角ばっていた。
 さらに秦の時代になると国家統一の事業の為いろいろのものが統一された。その中には度量衡や貨幣等は勿論のこと、戦国時代に群雄割拠し各地でいろいろな金文文字や亜流が使われていたものがこの時代には強制的に小篆と云う文字体系に取って代わられた。そして漢の時代には使われた小篆文字は8700字になったとのことである。
 更に秦、漢王朝の中の宮廷において、膨大な文書管理を任されていた奴隷の小官吏が編み出した小篆より便利な書体である隷書が生まれ、やがて広く使われるようになった。そこから更に早く筆記する必要から、草書が生まれやがて楷書が作られ今日に繋がっていく。
  そして今までに歴史的に出現したことのある漢字の総数は8万以上に上るといわれている。

2012年3月19日月曜日

「吊」は「弔」とはこれいかに その起源と由来


昨年の晩秋、由布院温泉に行ってきた。全山燃えるような紅葉を期待したが、時期的には1週間ほど早く、ただ温泉につかって帰って来た。しかし温泉はやはりいいものである。
 温泉につかりながら、文学的感傷に浸りながら、出てきたのは品格とはほど遠いもの。されど如何にも世俗的で却ってこのサイトの雰囲気に合うのかもしれない。
  「吊るし柿 青湯でぶらぶら 二つ四つ」 やはり顰蹙ものだ。
 由布院には「青湯」と呼ばれる温泉があり、御湯の色は青色で、褐色の由布岳との対比で印象深かった。

  さて、ここで「吊し柿」の「吊」に注目したい。


「吊」:本来は「弔」と云う字がもっぱら用いられていたが、
「弔」が「弔問」と云う場面で使われることが多くなったため、
吊るすという意味では「吊」という俗字が使われる様になった
  「吊」この字は会意文字である。甲骨文字の「吊」の字は一人の人が縄で縛られて吊るされているデッサンである。金文は甲骨文字を受け継いでいる。小篆は美観のある字体を使うようになって正に人の上部が変形し、楷書では更に省略され「弔」となった。
 もともとこの「弔」の字が「吊る」の意味の正字であったが、「弔」が「弔問」の意味に常用されるようになったため、漢字の簡体字化の時、本来異体の俗字の「吊」が正体と規定された。どうも見たところ、かろうじて人を縛った後でも、古人は未だ逃げることが出来ると考えたようだ。


  だから古人は「梱」は縛る(物と一緒に巻きつける)ということで、「(物の上に吊り下げる)と一体をなす。「弔(吊)」の本義は縛る、括って吊り下げるということである。又「吊」古文の中では「お悔みを言う」意味即ち慰問に用いられている。

2012年3月9日金曜日

「絆」:ところ変われば品変わる。中国語の「绊」との違い

今日は甲骨文字から離れてみた。と言うよりこの「絆」という甲骨文字を探してみたが、見つからなかった。

 近頃「絆」と言う言葉が、いろいろのところで聞かれるようになった。この言葉の持つ響きは、実に快く耳に響く。「大辞林」によれば、その意味は「①家族・友人などの結びつきを、離れがたくつなぎとめているもの。ほだし。 ②動物などをつなぎとめておく網」となっている。それはちょっと聞くと人にとっては大切なものと受け止められるが、反対にものを見ると「束縛」とも考えられる。物事には二面性があるので、これは当然のことである。

 しかし中国語ではこの反対の側面から見た意味に用いられる場合が多いようである。中国語で「绊」と引くと「① 足をすくう。わななどに引っかかる。からみつく。 ② じゃま(妨げ)になる。まつわりつく。 ③ きずな。拘束。 ④ (-子)わな。」とどうにも後ろ向き且つ否定的ないやな意味ばかりである。では中国語で日本語と同じ積極的な意味の言葉はどうかというと「紐帯」というらしい。

 日本人は一般的にいって、言葉の捉え方が感性的で、あまり論理的に、理詰めには捕らえようとしないし、どちらかと言うと苦手なんではないかと思う。昔から「言霊」と言う言葉もあるとおり、ニュアンスや雰囲気をかもし出すことを得意とした。これが日本語の美しさ、聞いていい響きなのではないかと思う。これはフランス語などのリズム感や発音などとは少し違うような気がする。

 しかし日本人が本来大切にしてきたこの美しい響きの意味が近年そぎ落とされて、裏の側面で見た方が納得できる場面に出くわすことが多くなったと思う。母と子の絆、夫婦の絆、ヘルパーと被介護者の絆、親方と弟子の絆など最近起こった事件を見ると人間の関係「絆」が変化しているように思う。しかし言葉は昔の美しい響きの関係のものを求めようとする傾向が蔓延しているような気がしてならない。そろそろその関係が本当は何を意味するのか真剣に考え直す時期に来ているのではなかろうか。

2012年3月5日月曜日

女の漢字:妊

「妊」:説文では「孕」なりと説明がある。「壬」は貫くという意味で、
女性が最初の性交を通して若妻になることを示している
  「妊」これは会意及び形声文字である。説文では「妊」即ち孕むことなりと云っている。
  女と壬から成り立ち、壬は声調を表す。
  図に示すように甲骨文字の任は右辺は女で左は「工」に似た「壬」である。「壬」は上古時代は、専らの意味を持っていた。
  このことから貫き通す、通過の意味である。女性が最初の性的接触を経て、若妻になったことを表示していると考える。


  金文の「妊」の字は左辺の「工」の字の中に一点が加わっている。小篆はこの点が長くなり今日の楷書になった。


  因みに白川博士はこの「工」という字を呪具で、古代では巫女や卜時に使っていたと推測している。これを呪具と見るか針のような工具とみるかは、文字学観にも係わる非常に重要な問題だと思う。


  女子と男子の交わりは受胎妊娠となる。為に妊の字は女性の懐妊を表している。即ち妊娠で妊の字は現代漢語では、この意味で使われ続けている。 

2012年3月4日日曜日

氏の原義は血の流れを示す川か氏族の祝宴に使う肉切り包丁か


 さて白川博士は、「氏」の甲骨文字は「取っ手のある小さな刀」の意味であるという。それは『先祖の祭りの後に氏族の共餐の際、この小刀で祭りに用いた肉を切り分ける。この肉切り用のナイフが氏族の象徴であり、氏族共餐に参加するものを「氏」という』ことからこの字になったとの説をとっている。確かに白川博士のナイフは取っ手の部分が湾曲し如何にも飾りのついた象徴的なナイフのような感じがする。
 ここで唐漢氏の論拠となっている甲骨文字の「氏」の上部の原義は「水」であるという点について、もう少し触れてみたい。
甲骨文字の「水」は下記の様になっている。
甲骨文字の「水」唐漢氏のいう文字とは少し異なり、川の流れを示す湾曲した筋の周りに6点が付されている。金文では唐漢氏の云う通り川の流れと4点が付されている。多少の誤謬は良しとするも、金文の氏の文字の上部は川の湾曲とは異なっていて、端の部分で「人為的」な曲がり方をしている。



「氏」 文化・社会のもう一つの原点はここにあり

 長い間、人間の社会の根幹の部分を作り上げてきた、姓名。これは現在の日本、中国では家族を表す指標であり、韓国においては広義の血族関係を表す本貫である。これは東洋に留まらず西洋でもFamily Nameという呼称でこの関係があらわされる。これは人類共通の歴史的過程を経てきたことからこのような結果を生んでいるといえる。この共通の過程とはなにか?それは「氏姓制度」である。穴居生活からやがて家族が生まれ、私有財産が蓄積され、村落・部族を形成する過程こそ人類共通の歴史的過程である。
 さてこの姓と氏という漢字の由来について、日本の白川博士と我が唐漢氏の間では天と地の開きがある解釈を展開されている。
 勿論ここでは常々言っているように、どちらが正しいということを解明しようとする立場に立つものではない。両方とも正しいかも知れぬが、それを認めなければならないのも人文科学の宿命かもしれない。
 
「姓」と「氏」はこれまでの社会の成り立ちの根源
 唐漢氏は言う。「氏」は指示造語である。表意の漢字の仮借である。甲骨文字の「氏」の上部は最も簡単な「水」を表す記号から四点を省いた記号、下部は一本の長い縦の指示符号で、水面から水底までの意味であると唐漢氏はいう。金文の「氏」は甲骨文字を受け継いでいるが、美観なものになっている。下部の長い縦棒には一個の丸い点が付け加えられている。小篆はこの点が横に長く変化し、文字構造上の形の均整がとられている。
  要は唐漢氏は「氏」の本義は水の水面から水底までを示す漢字だというのである。

2012年3月2日金曜日

女の漢字:「姓」 文化・社会の原点はここにあり


 「姓」という字は、中国の社会が母系制社会から氏族制度へと発展し、氏姓制度さらに古代、中世、近代の今日に至るまで、社会の根幹の仕組を表す重要な文字である。このブログの重要な仕事は漢字の変遷から社会の変遷を読み解くことでもあるので、「姓」という字はこのブログの重要なコンセプトともいえる。今後折に触れ理解を深めていきたい。氏族制度の基盤は血縁集団にあったが、それがやがて国家の政治制度として編成され社会基盤として機能していくようになる。
 
「姓」という漢字は古代から近代にいたる非常に長い期間
社会の成り立ちの根幹の制度・概念を表す漢字である
 「姓」は会意文字であり、形声文字でもある。甲骨文字の「姓」の字の左辺は女という字で、右辺は草木の発芽成長の記号である。両形も会意文字であり、母系制氏族社会で、同一の女性を始祖とする後代まで広がる社会を示している。

 同一の女性の祖先の子孫は、彼らが一人の同じ女性から来る所から金文の姓という字を生んだ。
右辺の字の符号の中の短い横棒と左辺の女偏が人偏に代わり、この時期に社会が既に男性の権力の時代に入り、既に母系制氏族制度が転覆したことを表明している。小篆の「姓」という字は女と生に回復しているが、母系制に回復したということではない。ただなぜ人遍から女偏に変わったのかは調べる価値がありそうだ。

実際上、この一時期、早くも張、王、李、劉等の男性の姓の天下であり、司馬、諸葛、欧陽などの2文字の姓は皆父系から得た姓である。

 上古社会では、個人並びに氏族の姓は皆女性の血統に源を発している。この一点早くから氏の文字の構造は証拠となり得た。姜の様な性は、神農の居姜水の姓と考えられる。女の羊の声は「姫」の様な性を生んだし女の臣の発声は「姓であり、又皇帝の数少ない姓を生んだ。「姚」などもその数少ない例かもしれない。

 中国古代社会では平民と奴隷は皆姓を持ってなかった。只貴族のみが姓を持っていた。実質上早期には姓の権利が独占されていた。この為に上古では庶民という言葉は百官を指していた。平民も姓氏を持つ様になって、庶民という言葉は一般庶民を表示するのに用いられた。
 日本では、朝廷が、官位と同じように氏(うじ)と姓(かばね)を授けて氏姓制度を国家機構の中に組み入れ構築していった。

2012年3月1日木曜日

女の漢字:「婚」

 母系制の時代には、婚姻という概念も実態もなかった。
  婚は会意文字であり形声字である。小篆字の左は女という字で右は昏の字である。二つを組み合わせると、男女の婚姻を表す。婚の字の昏は古代にはたそがれ時に嫁婿取りが行われていたことから来たものだ。しかしこの説はあまりに通俗的であるように思う。
 
「婚」の概念は甲骨の時代には
なかったのかもしれない。
いわば氏族制度が固まって
後に生まれたのだろう。

  「白虎通・嫁婿」には『婚姻をするものは、黄昏時に霊を行う。故に曰く「婚」という。この種の結婚儀式と酒席は夕刻に行うのが風俗である。今日に至っても南方の少数民族の中には未だに之を保っているのもある。婚の字の右側の昏の字は読み方をも示している。故に会意形声文字である
  しかし、金文中の借りて作った「婚」の字は一個の会意字であり、非常に複雑で、連なっている絵巻のようで、結果的には男女の和合の場面を表すと唐漢氏は言う。
 「婚」の字は甲骨文字にはないようであり、従って当時はまだ婚姻という概念、実態はなかったのかもしれない。婚姻というのははやり氏族制度がしっかりと根付いたあと出て来たのではなかろうか。

 婚の本義は男女双方の正式に結びついた夫妻の意味である。結婚式の礼儀を表す「婚礼のようなものである。男女の双方の夫婦の約束を示すものである。」結婚年齢の「婚齢」。又男女双方の結びつきの約定の「婚約」など。
 古代婚姻は家柄を重視したがそのことは結婚する男女の双方の家柄が釣り合っている必要があった。また同姓と結婚しない風習は「国語・晋語四」で曰く「同姓は結婚せず育てても殖やさず」この事は同姓は結婚しても、生育しても栄えないことをいう。要は近親婚を戒めたのではないだろうか。