2011年11月28日月曜日

漢字の女シリーズ 「毎」の原義は母の髪飾り

「毎」の原義は母の髪飾り
歳をとって髪も長く盛んなること
 「毎」は指事語である(指事語とは六書の一つで、抽象的概念を表すため、符号を組み合わせる造字法)。甲骨文字では母の上に横線を加えている。これは女性の髪飾りを表示したものだ。
 上古社会では、女性は髪を切らず、髪の毛は年齢とともに長く伸び、年齢が高くなればなるほど髪の毛は長く、なかでも老年の女性は、真っ白な髪を通常、頭の上で整えたのが特徴である。「毎」の字はこの一つの特徴をとらえたものである。
   金文と小篆の「毎」は母の変化と同じである。
  許慎は《説文》で「毎」を盛んになることと解釈している。実際「毎」の字は髪の毛の盛なることをいい、年齢のたけたこと、また子孫の多いことをいう。くさの繁茂することとは少しの関係もない。毎の字の造字の本義は、氏族社会の中で、子孫が多く人々の尊敬を受ける年配の女性のことを指す。

2011年11月26日土曜日

女の漢字シリーズ:「母」 上古社会、母系制の中で特別の存在

母の字形は女の字とほぼ同様。
2つの点は乳房を表す。
「母」の字形は「女」に近い。甲骨文字と金文中の母の字は字形上は女に比べ2つの点が多い。これは母が乳児に母乳を与えるとき、乳房が乳の為膨れ、乳房が突出するという生身の母親の特徴である。図に示す如く、表示された乳房の2点はまさに女性の胸にうまく位置し、左右それぞれ一つある。但し楷書の母の字の2点は変化の過程で上下各一つに変わっている。だから既にその中で象形の意味を見分けられるとは言い難い。

甲骨文字の「女」

   「母」の字の本義は母親である。家母、乳母、後母、老母など、即ち自分に親密な関係の年上の女性を表示している。俗語の中の「母以子贵」ということは、母親は子供が成就することで、ある種の権勢や尊敬を得るという意味である。この中で母の字は母親を指している。上古の時代母系大家族で、「母」は生身の母親を指すばかりではなく、母親の姉妹、妹姑みな「母」と称していた。この呼び方は、今日の雲南納西族の呼び方も証になる。

2011年11月25日金曜日

京は射精の表現 漢民族の生殖崇拝

「京」の原義は男の射精
後に高崇、大きな建物、都を表す
京は「高」や「膏」と同じ源を持つ。古代社会から華夏民族は生殖崇拝文化が支配的であった。性の感受の描写の文化である。

 甲骨文字の「京」という字は、上部は男性の生殖器の符号(上向きの矢印状)であり、下部は「内」となり、男性の両脚と中間の縦の線は男性の精液が下腹の腹腔から噴出する様を表示している。この男性の射精の描写は非常に感性的で、直観的である。甲骨文字の「京」という字では可視的に簡略化されている。
 しかし早くからこの意味では使われなくなったという。後世ではもっぱら「高崇」という意味に用いられ、さらにそこから引き出された意味として、「大きな建物」を表すものとして用いられて、今では国の都の意味に用いられている。
 
 さて、以上は唐漢氏の解釈であるが、我が国の白川静香博士はこの字は、戦いに敗れた敵兵の屍や首を埋めて、自分の街を外敵や病魔から守る一種のまじないの意味を込めた「凱旋門」だという。わが唐漢氏が習俗や社会発展に漢字の発展を見るのに対し、白川氏は漢字そのものが王侯のほぼ独占的なものであったという見地から漢字は占いや呪詛などの支配の道具として見ている。この両者の違いが漢字の成立の解釈の大きな違いを生む結果となっている。
 勿論私には両者の正否を判断する立場にもないし、その力量もない。
 ここでは両者の解釈を並列するだけであるが、一概にどちらが正しいといえないような気がする。

2011年11月21日月曜日

「包」は胎児が胎嚢に包まれること


「包」と「孕」の漢字はいわば兄弟。
  「包」これは象形文字の甲骨文字と金文の字形は同じように、まさに生まれてくる胎児が胎嚢に包まれている状態である。小篆の字形の口は人の形の勺にかわり、中の「子」は「己」に変化して、勺と己の会意文字になった。しかし、依然として包嚢に包まれた胎児を表す。「包」は「胞」の初めの文字である。
これは「包」の字の左辺に「肉」を加えたもので(現代漢字では肉月偏である)、もっぱら「包」の字の本意を表す。即ち胞衣の中で既に形の出来た胎児で、まとめてこの構成で「同胞」とか双子などの意味の「双胞胎」等の言葉がある。

2011年11月10日木曜日

女の漢字シリーズ 「若」:女が髪の毛を解くとき



「若」:女が男と愛を交わす時、
自分の髪の結えを解いている様
 
 甲骨文字の「若」は象形文字だ。まるで一人の膝まづいた女性が髪の毛を直しているようだ。金文の「若」は甲骨文を引き継いでいる。小篆の「若」の字は、草かんむりと右から出来ている会意文字である。楷書は之によって「若」と書く。

 古語の中で「女は己を喜ばせるものの為に受け入れ、士は己を知る者の為に死ぬ」という格言がある。これは女は自分を好いてくれる人の為に装うということだ。しかし女性はどんなときにも、自分を好いてくれる人の為に装うのだろうか。 明らかに男と会うことを承諾した時、このように工夫を凝らして装うものだ。角度を変えていうと、女性はどんな時に頭の上に一杯挿した飾りを抜くのだろうか。明らかにただ愛をかわすために寝る時だけだ。だから、「若」という字の起源は、承諾した後の髪の結えをぬき解き、頭髪をばらすことである。その本意は「承諾、応諾」ということである。発音は「うんうんはいはい」から来ている。

 小林朝夫氏の「本当は恐ろしい漢字」(2007年、彩図社)の説明によると、「若」という漢字は、「神の真意を聞くべく、髪をふり乱して狂ったように踊りながら祈る巫女の姿」と解説されている。氏は日本の故事からこの話を引いて来ているのだが、この漢字が日本で出来たものなら、この解釈も当てはまるのだろうが・・。私には人の話を断定する資格はない。しかし、少し疑問を呈しているだけである。

2011年11月7日月曜日

「姓」のルーツは古代が母系制社会であることにあった


「姓」という漢字は古代が
母系制社会であった証左

 甲骨文字の「姓」の字の左辺は女という字で、旁は草木の発芽成長の記号から出来ている。両形とも会意文字であり、母系制氏族社会で、一人の女性を始祖とし後代まで広がる社会を示している。

金文の姓という字では、右辺の字の符号の中の短い横棒と左辺の女偏がニン偏に代わっている。このことは、この時期に社会が既に男性の権力の時代に入り、母系制氏族制度が転覆していたことを表明している。小篆の「姓」という字は女と生に回復しているが、これは社会が母系制に回帰したことを示すものではない。

  古代社会では平民と奴隷は皆姓を持ってなかった。ただ貴族のみが姓を持っており、姓の権利が独占されていた。この為にこの時代、「百姓」という言葉は百官を指していたが【即ち百(多く)の姓で代表される貴族という意味】、平民でも姓氏を持つ様になって、「百姓」という言葉は一般庶民を表示するのに用いられるように変化した。



2011年11月5日土曜日

「妻」という漢字 婚姻という甘い言葉の陰に女性の厳しい現実

「妻」の字の変遷
女性がセックスの後髪の乱れを整える様
  妻は婦人と夫が一緒に住む者をいう。甲骨文字では、女の傍に手を付け加えている。これはセックスの後女性が乱れた髪を整える様を表し、男女がセックスをすませた後、女が髪を直す有り様を表現している。
  金文と小篆では「又で示される手」を女子の髪の中に差し入れている状態を示し、後に配偶者を示すようになった。


  本来妻は女性が性交後、男との関係が実質上変わることをいう。後に王権父系制が徹底的に実現され、 婚姻の形態が変わり、妻の語義が変化し、性の関係の意味が女子の人の妻としての意味に変わって、女性が関係を持った男子と終生随伴するという意味を持つようになった。このように漢字の変化は、社会の役割と身分の変化を示している。


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2011年11月4日金曜日

魚の漢字の由来 秋の魚「秋刀魚」

秋は何と言っても秋刀魚の季節。秋刀魚の塩焼きは素朴ながらも絶品だ。日本の落語でも、「サンマは目黒」という御題でおなじみである。
 さてサンマは中国語で秋刀鱼と書く。因みに我々におなじみの魚は下のようになる。日本語のように一字でその名前を表すものは少ないようで、大体が鯛、竹荚、金枪のような修飾語が付き、全体で魚の名前を表すようである。その点獣の名前には牛、猪など一字でその動物を表すものが多いようで、その点からいっても中国では魚文化は日本ほど発達していない証拠かも知れない。
  • 秋刀魚     秋刀鱼
  • 鯛                     鲷鱼
  • 鯵        竹荚鱼
  • 鮪        金枪鱼
 さて魚の漢字はどのようにしてできたのか。その由来を探ってみよう。

「魚」の変遷

甲骨文字の魚はちょうど絵の中の大きな魚である。頭と尾と背部にひれを持っている。小篆の尾鰭のわきの二つの点は水滴を表す。よく魚の形を表している。楷書は完全に4つの点になっている。簡体字ではこの4点は横棒一になっている。

金文中の魚を表す味のある文字

   "魚”の字は部首で漢字の中では「魚」と組み合わせて、全て魚と関係を持っている物を表す。

2011年11月2日水曜日

秋の実り「栗」の由来

 秋は実りの季節。梨、栗、柿等が木々にたわわに実っている景色を見るのは、見ているだけでも楽しくなる。子供のころは道端の木に実った柿を失敬して、よく怒られたが、そんな思い出は日本人の男ならたいていは持っているのではないかと思われるが、今はそんなことは親が許してくれないのか、行儀がいいのかトンと聞かない。

「栗」は象形文字。古代人の
表現力の豊かさには恐れ入る
   さて、今日は栗にまつわる話をしよう。「栗の木」は俗称、板栗の木。甲骨文字の形は一株の木の上に育った棘のある果実そのものである。栗の木の果実は球状を呈し、上面は長いとげが密生している。まさに甲骨文字の形は栗の絵を見ているようだ。


 果実が成熟すると、棘のある外側の殻の中はまさに栗色の光沢のある果実でとなって、、これが我々が平常食べる板栗である。周の時代では、いわゆる栗の木は神木とされ、食用ばかりでなく澱粉を豊かに含む板栗として親しまれている。

まさに字の中でも、3個の果実が簡略化され、一つになっている。楷書では今は栗と書く。

 中国の北方の城郭都市の大通りや裏道では、鉄鍋をかけた栗売りの声と栗の香ばしい香りが一体となって舞い人々の食欲をそそる。正に秋の風物詩である。

 栗の外殻ととがった棘があることから、常に人に恐れさせ戦慄のように言葉では恐れを表わすように使われている。

2011年11月1日火曜日

妻にかかわる故事と「妻」という字の持つ重さ

   妻は古代は単に名詞として用いられただけではなく、男子の配偶者の呼称であったし、また動詞として用いられ、女性が嫁いで妻になることを示した。この用法の中で、「妻」はQi(チー)と読まれた。論語の中で「以其子妻之。」の中の「子」は女性を指し、「妻」は動詞として用いられていて、人に嫁ぐことを指している。


   史記の中に「妻を殺して将を取る」という故事がある。呉起は有名な軍事家であった。出生は周辺の国だが、魯の国の官であった。ある時、斉の国が出兵し魯の国に攻め込んできた。魯の国の君主は呉起に領兵の攻撃の準備をさせた。しかし呉起の妻が斉国の人であったために躊躇っていた。

呉起はそれを知るとただちに家に帰りすぐに自分の妻を殺し、自分に二心ないことを表明し、全心全意で魯国に忠誠することを示した。魯国の王はここにいたってやっと彼を統帥将領任命した。この故事は戦国時代のものである。まさに女性が男の家に嫁ぐ時は男の家のものになるという時代である。

 エンゲルスは「家族・私有財産と国家の起源」の中で、古人の婚姻制度は決して男女にとっていい形で出現したわけではない。ましてやこの形態の最高の形式であったわけではない。それに反しそれは女性にとっては男の奴隷にもなることを意味した。婚姻は全歴史を通じて両性の衝突の宣告と出現するものとなった。

 この論断は「妻」の歴史的形成をよく言い表している。