2011年12月28日水曜日

面白漢字

漢字の中にはいろいろの漢字要素を合わせて一つの漢字となっている。
偏と旁などは漢字作成の最も基本的な方策の一つである。ある漢字とある音の要素を組み合わせて作成された漢字もある。(形声文字)
中には全く同じ要素を重ねて用いて、一つの意味を表すものもある。最もポピュラーなものに「森」や「林」がある。
  そこで、このような重ね合わせ漢字を集めてみた。

     拼音          日本語

森 Sēn          樹木が多いさま.森
鑫 Jīng         富み栄える.(人名や屋号に用いることが多い これなどは正に簡体
          字とすべきものの筆頭候補であろうが、名前に使われている為、
          簡体字にはなってない
赑 Bì             1.盛んに力を出すさま.
                      2.蟇[ひき].カメに似た伝説中の動物.石碑の土台に
磊 Lěi           石が積み重なっているさま
淼 Miǎo        〈書〉水面が広々として果てしがないさま
晶 Jīng         明るい;きらめく.水晶.結晶体.
焱 Yàn         火花;炎
矗 Chù         そびえる.まっすぐに立つ
毳 Cuì          にこ毛.柔らかい毛
姦 Jiān          (繁)ずるい.悪賢い.不忠である.
品 Pǐn          品物.物品
垚 Yao 2      (繁)高い
轟 Hong 1    (繁)大音響
蟲 Chong     (繁)虫

 これらの漢字の中には日本ではもう既に使われていないものもあり、また意味が全く異なってしまっているものもあるが、比較的直観的である為日本人には類推がつきやすいものとなっている。「こんなんのもあるんだ―」ぐらいで見て戴ければ十分である。

女の漢字シリーズ:嫁と娶

  嫁と娶のいずれの漢字も現代では結婚することを示している。同じ意味ではあるが、一方は女性が他の家にとつぐことをいい、他方は男から見た結婚即ち妻を娶ることをいう。男女の立場の違いが明確に出た漢字である。
 漢字としては「娶」の方がはるかに古く、殷商の時代には既に作られていたようである。
 唐漢氏の「漢字の暗号」によれば、「娶」という字は、大変古い字で、甲骨文字の時期は会意文字であった。甲骨文字の「の字は女の人の右上方に手が耳をつかんでいる形である。
娶は部族間の戦争で勝者が「戦利品」として
女性を略奪したことの名残り
 上古社会には部族間の戦争は頻繁にあった。双方戦いを終結する時、敵を殺した数字を数えるのに、敵の切り取った左耳の数に基づいた。よって、「取」は敵を殺し、耳を切り取ったの意味である。
 殷商時代の部族の戦士は戦争中の捕虜の女性から戦利品から我がちに奪い取り妻にした。
 小篆の「娶」の字は、「女」と「取」の発声から形声字となり、その意味もまた変化を遂げた。「説文」では娶を嫁を取ると解釈している。ここの「娶」は既に「妻を迎える、嫁を娶る」の意味である 明らかに「娶」の字に内包するものは時代につれ変化した。殷商時期は捕虜の女性を取ってくるという意味に用いられ、両周以降は嫁を取るという意味に逐次変化した。
 一方「嫁」の方は「漢字源」によれば、女性が相手の家に入るということで、女偏に家と書いてとつぐと書くようになった。こちらは氏姓制度が確立し父系制が行き渡って後の話である。 

2011年12月24日土曜日

女の漢字シリーズ 「姦」

  中国語では現在、姦は奸に包括されしまっており、「姦」の簡体字は「奸」である。
その意味は日本語では「姦しい」の方が先に頭にくるが、中国語ではどちらかと言うと「姦淫」の「姦」の使い方がポピュラーなようだ。
そこで「姦」の漢字の成り立ちに立ち戻ってみよう。
「姦」と「奸」の両字は漢字化の過程でまさに合併してひとつの字になった。姦は奸に包括され、奸の字は姦の字の簡体字となった。


甲骨文字の姦の字は三つの女と言う字が組み合わさった一つの複合字である。その意味は、彼らの間だけで、ただ互いに話するということだけだ。女子が一緒に集まって、わいわいがやがやと争うこともなく、時には自分のことを弄ぶのは、古代社会では公開の原則に逆らってしまう。だから「姦」の意味するものは一種の私的な行為・遊びである。

説文では姦は私なりと解釈している。

奸の本義は父権制社会では私的な遊びと言うことだ。後には女子が男と発生した性の関係を指すようになった。すなわち「通奸」である。 また偽善・ずるいことを指し、諸葛亮「出師表」の如く、「姦凶を払い除け、漢室を復興し、旧都に帰る」ここでの姦凶は儀義道徳を指し、密かに男盗女娼のずるい輩の事を指す。

古漢語中「姦」と「奸」の字は相通じるもので、奸淫は姦淫とも書く。但し奸臣と表示したときは「姦臣」とは書かない。ここでは「奸」の中の「干」が権力を弄ぶの意味で、姦は即ち「密かに」という意味を表す。

2011年12月21日水曜日

「龍」という字の生まれた時代的背景

「龍」と言う字が漢民族の心中に深く根ざした架空の動物神であることは前報で説明をした。それでは、字が生まれた時代的背景について少し掘り下げてみよう。

金文の「龍」
当時の生産方式の変化は漢民族の
意識の変化を生み、その変化は「龍」
という漢字を生んだ?
 この文字が生まれた時期は、まさに天に依存した飯を食べる型(つまり穀物の栽培)の農業生産方式が急速に発展する段階である。また華夏民族の諸侯国は残忍な戦争を通じて、統一していく段階に入っていた。ゆえに人間を超越したした力を持つ龍、天候を操ることができる龍神信仰が生まれたのではないだろうか。

 そして、この字は金文から発展するにつれ、次第に皇帝の権力を象徴する存在へと変化を遂げていく。
 龍の字の大篆から小篆の発展は力強く気勢のある調和の取れた美観を体現している。この種の龍の字の右半分の躯体はさらに長く変わり、湾曲する必要にいたるまでになっている。左半分の形態もさらに奇異な形状になって、字形は対象になり、一種の落ち着きとしっかりした感じさえ出ている。庶民性は少なくなり、次第に皇帝の権力、帝王の専用のシンボルに変化していった。
 
 龍の字は原始民の間に恐れおののく意識の中で、古代民衆の現実生活の中で作り出されたものである。龍が一種の偶像になった時、それは自然界の動物の複合体と異なるものを持っていた。


   牛の耳、トラの手、鷹のつめ、蛇の体、魚の鱗。龍の形の龍の字は同じで、完全に一種の仮想で、しかしながらそれは非凡にして突出して、空に掛かる人間界を超越した気勢、奇異にして言語を超える、奥深く計りしれない威力、漢民族に対して語り告げる、子々孫々までの無限の吸引力をもち、為にこのような龍は中華民族の象徴になりえたのである。

2011年12月20日火曜日

毎:古代では老年の女性は尊敬された。毎はそういった女性の髪飾り

「毎」の字形の変化は「母」に同じ
母の髪飾りから発して盛んなること
  「毎」は指事語である(指事語とは六書の一つで、抽象的概念を表すため、符号を組み合わせる造字法)。甲骨文字では母の上に横線を加えている。これは女性の髪飾りを表示したものだ。上古社会では、女性は髪を切らず、髪の毛は年齢とともに長く伸び、年齢が高くなればなるほど髪の毛は長く、なかでも老年の女性は、真っ白な髪を通常、頭の上で整えたのが特徴である。「毎」の字はこの一つの特徴をとらえたものである。


  金文と小篆の「毎」は母の変化と同じである。この為に楷書の「毎」の字になっている。許慎は《説文》で「毎」を盛んになることと解釈している。実際「毎」の字は髪の毛の盛なることをいい、年齢のたけたこと、また子孫の多いことをいう。くさの繁茂することとは少しの関係もない。毎の字の造字の本義は、氏族社会の中で、子孫が多く人々の尊敬を受ける年配の女性のことを指す。

2011年12月15日木曜日

前沖縄防衛局長の暴言 「犯す前ににいいますか」

  いま日本中はこの驚くべき暴言に唖然としているのではなかろうか。この発言が元で罷免された防衛局長の品性のなさに、情けないという思いに駆られている人は私だけではないだろう。
 さて、この暴言に関係して、毎日新聞の11月30日付余禄にあった記載に触れてみたい。暴言という語源について「余禄」は白川博士の著述から、『「暴言」の「暴」は日と獣の死骸の形を組み合わせた文字なのだという。白川静さんの「常用字解」にそうある。死骸が太陽にさらされるわけで「さらす」、するとたちまち骨があらわれて「あばく」「あらわれる」との意味になった』とある。
 
早速我が唐漢氏は何と言っているのか当たって見た。


  氏はこの文字は太陽の光に麦の穂が晒されているものだとしている。ここでも白川博士の呪術的な発想に対し、農耕に漢字の発生を見る氏の視点の違いが際立っている。
 曰く、 「暴」この字は一種の会意文字である。金文の「暴」の上辺は爾の光が下に向かって照射している様を表している。下辺は突出した麦の穂が成熟した形とみる。あたかも日の光が降り注ぎ、麦が熟しているときの描写である。小篆の「暴」の字は形の変わった両手が太陽の光のもとに米を晒している様を示し、楷書が隷書に変化する過程の中で、再び形が変わり「暴」の字となり、形は似ているが雰囲気が失われた会意文字の形になった。甲骨文字の品用がないところを見ると甲骨文字の時代にはこの字はなかったのかも知れない。
 日に晒すということから引き出されてくるのは「顕露、顕示」の意味で、暴露と同じである。赤い日が空に当たり、強烈な日差しが火に似ていることから「慌ただしい、猛烈」ということが引き出され、「暴雨、暴怒、暴躁」等の言葉が出来た。また「残忍、残酷」の意味も表わされ、暴虐、暴行、暴徒等の言葉にもなった。

2011年12月12日月曜日

「民主」はどこから来てどこへ行くのか

  民主党は苦しんでいる。あの嵐のような熱気が去った。
   民主党が政権をとってから国民の間では期待が先行しながら、国民の期待は裏切られ、いまや失望が燎原の火のように広がりつつある。
  先の選挙の当時は、「自民党のむちゃくちゃな政治の後だから、民主党も大変だわな。」というのが国民の偽らざる感想であったと思うが、今や自民党以上に悪いという声すらある。60年間続いた自民党の「独裁」の弊害に対する嫌悪感は国民の間に行き渡っており、国民はいまさら自民党時代に帰る気はもうとうないとは思うがどう動くかは予断を許さない。一方では橋下氏のようなファッショ的な風潮が大衆の間にももてはやされるようになって来た動きもある。
  世の中にはそれでも民主党、自由民主党と「民主」という響きのいい言葉が溢れているが、我々はともすれはこの響きにだまされてしまっている部分がある。その中身と歴史を今一度振り返って見る必要がある。
 ここで「民」という字は一体どこから来たのか冷静に考えてみるのも悪くないだろう。早速「民」の字の由来について考えてみよう。
   ここでは、中国の唐漢氏に登場願うこととする。氏は彼の著作「漢字の暗号」(汉字密码)の中で、以下のように述べている。
民は奴隷を識別するために目を潰した
 民という字は左の図の通り、本来象形文字である。図の中で甲文とあるのは甲骨文字、金文とあるのは青銅器などに鋳込まれている古代文字である。この甲文、金文のいずれも上部の文様は「左目」を示している。そしてこの両者とも「目」を錐状のもので突き刺している状態を示している。それが小篆を経て現在の楷書の形「民」になったものである。 
  民の本来の意味は奴隷である。殷商の時代に統治に便利な方法として、考え出されたのが、「奴隷の左目を潰す」という残酷な方法である。戦いで他民族を征服したとき被征服者と征服者を容易に見分けられるよう、被征服者=奴隷の左目を錐で潰したのであるが、それをそのまま字にしたものがこの「民」という字である。
  当時これらの奴隷は「民」と呼ばれ、それ以外の者は「人」と呼ばれていた。後世になってこの区別はなくなり「人」と「民」が言葉の上でも統合され「人民」と呼ばれるようになったが、この「民」には「愚、頑」などの余りよくない修飾語はつけられて、「賢、偉」などのほめ言葉が修飾語につかないのはこの由来によるものである。
  この名もなき「民」が「主」となる「民主主義」という概念は本当にすごいものである。人間は奴隷から、人民になり、民主主義の社会が実現されるまで何千年もの長い血みどろの闘いが必要であった。言葉はその概念は時代とともに変化する。しかし大事なのはその変遷の歴史と現在の位置づけである。
  現代においても民主主義が真に実現されている国はまだないといっても差し支えないのではなかろうか。日本は民主主義の国とよく言われるが、貧富の差がこれほど拡大した国、官僚が平然と税金を食いつぶし大きな顔をしていられる国、「自己責任」という言葉で国民の貧困化が黙認される国、小選挙区制で民意を死票として葬り去ってしまう国、結局声の大きさと態度の大きさがものをいう国、モンスターペアレントなどのごね得がまかり通る国は果たして本当の民主主義の国といえるのだろうか。それは日本がお手本としたアメリカでも同じである。いや日本以上にひどいかもしれない。
 中国でも孫文が唱えた三民主義がある。民権、民生、民族の三つの民をとって、三民主義とした。しかしまだかなりの制約がある。言葉の響きよりも中身が問われる時代である。

  かつてマルクスは言った。「民主主義が実現された社会は民主主義が眠り込んでしまった社会である」と。 この意味はどういうことだろうか。よく考えてみたい。

2011年12月9日金曜日

来年の干支は「龍」 龍の字の年賀

 来年の干支は「龍」。インターネットサイトや本屋さんには年賀状の素材が並び、どこを見ても「龍、龍、龍」である。来年になれば我が家の郵便箱は龍で溢れかえるであろう。この奇妙な社会現象は一体何だろう。おしなべて誰もかれも「龍」では面白くもなんともないだろう。と言いつつせっせと年賀状作りにいそしむ自分がそこにある。こうやって世間に何十年も流されてきたのかと思うとそろそろ終わりにしてもいいのではないかと思うのである。
 さて、この龍の字の起源は何だろう。あまり解説せずに、甲骨文字と金文文字を並べてみることとする。こうしても見ると結構味わい深い字になっている。

甲骨文字の龍、古代人は味わいがある
  龍、甲骨文字の中での表現は2種類の同じでない形態を持っている。専門学者たちは出土文物と文字形象とから、「龍」の字の原形を、あるものはかつて今日の内蒙古と東北国境内の草原にに生きていた蛇と考えたし、或るものは今日に至るまで長江の中の穴の中に生きていると考えた。前者は今から4000年前紅山文化の出土した玉龍をその証拠とした解釈であり、後者は商代の青銅器の爬行龍紋を支持する解釈である。

金文の「龍」甲骨文字に比べると、美的な視点が
加わり、洗練されてくるようになった。
 金文中の龍は同様な表現の二つの図形を持っている。一つは青銅器銘文上の図形文字で、芸術化の方向性が見えている。図案化の発展の傾向にあり、この種の龍の字は更に美的な側面を有している。 もう一つは白線条の図案にその特徴がある。

いずれにせよ、は中国人の心中、最も神聖な動物神である。又中華民族の象徴でもある。「龍文化」は漢字文化の中で長きにわたって源流であった。 継続時間は最も長く、かつ神秘的色彩を備えた文化現象の一つである。

ここでは理屈を抜きにして、古代の味わい深い字を味わってみたい。年賀状は偶にこのような味わいを楽しみながら作って見るのも一興かも知れない。

2011年11月28日月曜日

漢字の女シリーズ 「毎」の原義は母の髪飾り

「毎」の原義は母の髪飾り
歳をとって髪も長く盛んなること
 「毎」は指事語である(指事語とは六書の一つで、抽象的概念を表すため、符号を組み合わせる造字法)。甲骨文字では母の上に横線を加えている。これは女性の髪飾りを表示したものだ。
 上古社会では、女性は髪を切らず、髪の毛は年齢とともに長く伸び、年齢が高くなればなるほど髪の毛は長く、なかでも老年の女性は、真っ白な髪を通常、頭の上で整えたのが特徴である。「毎」の字はこの一つの特徴をとらえたものである。
   金文と小篆の「毎」は母の変化と同じである。
  許慎は《説文》で「毎」を盛んになることと解釈している。実際「毎」の字は髪の毛の盛なることをいい、年齢のたけたこと、また子孫の多いことをいう。くさの繁茂することとは少しの関係もない。毎の字の造字の本義は、氏族社会の中で、子孫が多く人々の尊敬を受ける年配の女性のことを指す。

2011年11月26日土曜日

女の漢字シリーズ:「母」 上古社会、母系制の中で特別の存在

母の字形は女の字とほぼ同様。
2つの点は乳房を表す。
「母」の字形は「女」に近い。甲骨文字と金文中の母の字は字形上は女に比べ2つの点が多い。これは母が乳児に母乳を与えるとき、乳房が乳の為膨れ、乳房が突出するという生身の母親の特徴である。図に示す如く、表示された乳房の2点はまさに女性の胸にうまく位置し、左右それぞれ一つある。但し楷書の母の字の2点は変化の過程で上下各一つに変わっている。だから既にその中で象形の意味を見分けられるとは言い難い。

甲骨文字の「女」

   「母」の字の本義は母親である。家母、乳母、後母、老母など、即ち自分に親密な関係の年上の女性を表示している。俗語の中の「母以子贵」ということは、母親は子供が成就することで、ある種の権勢や尊敬を得るという意味である。この中で母の字は母親を指している。上古の時代母系大家族で、「母」は生身の母親を指すばかりではなく、母親の姉妹、妹姑みな「母」と称していた。この呼び方は、今日の雲南納西族の呼び方も証になる。

2011年11月25日金曜日

京は射精の表現 漢民族の生殖崇拝

「京」の原義は男の射精
後に高崇、大きな建物、都を表す
京は「高」や「膏」と同じ源を持つ。古代社会から華夏民族は生殖崇拝文化が支配的であった。性の感受の描写の文化である。

 甲骨文字の「京」という字は、上部は男性の生殖器の符号(上向きの矢印状)であり、下部は「内」となり、男性の両脚と中間の縦の線は男性の精液が下腹の腹腔から噴出する様を表示している。この男性の射精の描写は非常に感性的で、直観的である。甲骨文字の「京」という字では可視的に簡略化されている。
 しかし早くからこの意味では使われなくなったという。後世ではもっぱら「高崇」という意味に用いられ、さらにそこから引き出された意味として、「大きな建物」を表すものとして用いられて、今では国の都の意味に用いられている。
 
 さて、以上は唐漢氏の解釈であるが、我が国の白川静香博士はこの字は、戦いに敗れた敵兵の屍や首を埋めて、自分の街を外敵や病魔から守る一種のまじないの意味を込めた「凱旋門」だという。わが唐漢氏が習俗や社会発展に漢字の発展を見るのに対し、白川氏は漢字そのものが王侯のほぼ独占的なものであったという見地から漢字は占いや呪詛などの支配の道具として見ている。この両者の違いが漢字の成立の解釈の大きな違いを生む結果となっている。
 勿論私には両者の正否を判断する立場にもないし、その力量もない。
 ここでは両者の解釈を並列するだけであるが、一概にどちらが正しいといえないような気がする。

2011年11月21日月曜日

「包」は胎児が胎嚢に包まれること


「包」と「孕」の漢字はいわば兄弟。
  「包」これは象形文字の甲骨文字と金文の字形は同じように、まさに生まれてくる胎児が胎嚢に包まれている状態である。小篆の字形の口は人の形の勺にかわり、中の「子」は「己」に変化して、勺と己の会意文字になった。しかし、依然として包嚢に包まれた胎児を表す。「包」は「胞」の初めの文字である。
これは「包」の字の左辺に「肉」を加えたもので(現代漢字では肉月偏である)、もっぱら「包」の字の本意を表す。即ち胞衣の中で既に形の出来た胎児で、まとめてこの構成で「同胞」とか双子などの意味の「双胞胎」等の言葉がある。

2011年11月10日木曜日

女の漢字シリーズ 「若」:女が髪の毛を解くとき



「若」:女が男と愛を交わす時、
自分の髪の結えを解いている様
 
 甲骨文字の「若」は象形文字だ。まるで一人の膝まづいた女性が髪の毛を直しているようだ。金文の「若」は甲骨文を引き継いでいる。小篆の「若」の字は、草かんむりと右から出来ている会意文字である。楷書は之によって「若」と書く。

 古語の中で「女は己を喜ばせるものの為に受け入れ、士は己を知る者の為に死ぬ」という格言がある。これは女は自分を好いてくれる人の為に装うということだ。しかし女性はどんなときにも、自分を好いてくれる人の為に装うのだろうか。 明らかに男と会うことを承諾した時、このように工夫を凝らして装うものだ。角度を変えていうと、女性はどんな時に頭の上に一杯挿した飾りを抜くのだろうか。明らかにただ愛をかわすために寝る時だけだ。だから、「若」という字の起源は、承諾した後の髪の結えをぬき解き、頭髪をばらすことである。その本意は「承諾、応諾」ということである。発音は「うんうんはいはい」から来ている。

 小林朝夫氏の「本当は恐ろしい漢字」(2007年、彩図社)の説明によると、「若」という漢字は、「神の真意を聞くべく、髪をふり乱して狂ったように踊りながら祈る巫女の姿」と解説されている。氏は日本の故事からこの話を引いて来ているのだが、この漢字が日本で出来たものなら、この解釈も当てはまるのだろうが・・。私には人の話を断定する資格はない。しかし、少し疑問を呈しているだけである。

2011年11月7日月曜日

「姓」のルーツは古代が母系制社会であることにあった


「姓」という漢字は古代が
母系制社会であった証左

 甲骨文字の「姓」の字の左辺は女という字で、旁は草木の発芽成長の記号から出来ている。両形とも会意文字であり、母系制氏族社会で、一人の女性を始祖とし後代まで広がる社会を示している。

金文の姓という字では、右辺の字の符号の中の短い横棒と左辺の女偏がニン偏に代わっている。このことは、この時期に社会が既に男性の権力の時代に入り、母系制氏族制度が転覆していたことを表明している。小篆の「姓」という字は女と生に回復しているが、これは社会が母系制に回帰したことを示すものではない。

  古代社会では平民と奴隷は皆姓を持ってなかった。ただ貴族のみが姓を持っており、姓の権利が独占されていた。この為にこの時代、「百姓」という言葉は百官を指していたが【即ち百(多く)の姓で代表される貴族という意味】、平民でも姓氏を持つ様になって、「百姓」という言葉は一般庶民を表示するのに用いられるように変化した。



2011年11月5日土曜日

「妻」という漢字 婚姻という甘い言葉の陰に女性の厳しい現実

「妻」の字の変遷
女性がセックスの後髪の乱れを整える様
  妻は婦人と夫が一緒に住む者をいう。甲骨文字では、女の傍に手を付け加えている。これはセックスの後女性が乱れた髪を整える様を表し、男女がセックスをすませた後、女が髪を直す有り様を表現している。
  金文と小篆では「又で示される手」を女子の髪の中に差し入れている状態を示し、後に配偶者を示すようになった。


  本来妻は女性が性交後、男との関係が実質上変わることをいう。後に王権父系制が徹底的に実現され、 婚姻の形態が変わり、妻の語義が変化し、性の関係の意味が女子の人の妻としての意味に変わって、女性が関係を持った男子と終生随伴するという意味を持つようになった。このように漢字の変化は、社会の役割と身分の変化を示している。


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2011年11月4日金曜日

魚の漢字の由来 秋の魚「秋刀魚」

秋は何と言っても秋刀魚の季節。秋刀魚の塩焼きは素朴ながらも絶品だ。日本の落語でも、「サンマは目黒」という御題でおなじみである。
 さてサンマは中国語で秋刀鱼と書く。因みに我々におなじみの魚は下のようになる。日本語のように一字でその名前を表すものは少ないようで、大体が鯛、竹荚、金枪のような修飾語が付き、全体で魚の名前を表すようである。その点獣の名前には牛、猪など一字でその動物を表すものが多いようで、その点からいっても中国では魚文化は日本ほど発達していない証拠かも知れない。
  • 秋刀魚     秋刀鱼
  • 鯛                     鲷鱼
  • 鯵        竹荚鱼
  • 鮪        金枪鱼
 さて魚の漢字はどのようにしてできたのか。その由来を探ってみよう。

「魚」の変遷

甲骨文字の魚はちょうど絵の中の大きな魚である。頭と尾と背部にひれを持っている。小篆の尾鰭のわきの二つの点は水滴を表す。よく魚の形を表している。楷書は完全に4つの点になっている。簡体字ではこの4点は横棒一になっている。

金文中の魚を表す味のある文字

   "魚”の字は部首で漢字の中では「魚」と組み合わせて、全て魚と関係を持っている物を表す。

2011年11月2日水曜日

秋の実り「栗」の由来

 秋は実りの季節。梨、栗、柿等が木々にたわわに実っている景色を見るのは、見ているだけでも楽しくなる。子供のころは道端の木に実った柿を失敬して、よく怒られたが、そんな思い出は日本人の男ならたいていは持っているのではないかと思われるが、今はそんなことは親が許してくれないのか、行儀がいいのかトンと聞かない。

「栗」は象形文字。古代人の
表現力の豊かさには恐れ入る
   さて、今日は栗にまつわる話をしよう。「栗の木」は俗称、板栗の木。甲骨文字の形は一株の木の上に育った棘のある果実そのものである。栗の木の果実は球状を呈し、上面は長いとげが密生している。まさに甲骨文字の形は栗の絵を見ているようだ。


 果実が成熟すると、棘のある外側の殻の中はまさに栗色の光沢のある果実でとなって、、これが我々が平常食べる板栗である。周の時代では、いわゆる栗の木は神木とされ、食用ばかりでなく澱粉を豊かに含む板栗として親しまれている。

まさに字の中でも、3個の果実が簡略化され、一つになっている。楷書では今は栗と書く。

 中国の北方の城郭都市の大通りや裏道では、鉄鍋をかけた栗売りの声と栗の香ばしい香りが一体となって舞い人々の食欲をそそる。正に秋の風物詩である。

 栗の外殻ととがった棘があることから、常に人に恐れさせ戦慄のように言葉では恐れを表わすように使われている。

2011年11月1日火曜日

妻にかかわる故事と「妻」という字の持つ重さ

   妻は古代は単に名詞として用いられただけではなく、男子の配偶者の呼称であったし、また動詞として用いられ、女性が嫁いで妻になることを示した。この用法の中で、「妻」はQi(チー)と読まれた。論語の中で「以其子妻之。」の中の「子」は女性を指し、「妻」は動詞として用いられていて、人に嫁ぐことを指している。


   史記の中に「妻を殺して将を取る」という故事がある。呉起は有名な軍事家であった。出生は周辺の国だが、魯の国の官であった。ある時、斉の国が出兵し魯の国に攻め込んできた。魯の国の君主は呉起に領兵の攻撃の準備をさせた。しかし呉起の妻が斉国の人であったために躊躇っていた。

呉起はそれを知るとただちに家に帰りすぐに自分の妻を殺し、自分に二心ないことを表明し、全心全意で魯国に忠誠することを示した。魯国の王はここにいたってやっと彼を統帥将領任命した。この故事は戦国時代のものである。まさに女性が男の家に嫁ぐ時は男の家のものになるという時代である。

 エンゲルスは「家族・私有財産と国家の起源」の中で、古人の婚姻制度は決して男女にとっていい形で出現したわけではない。ましてやこの形態の最高の形式であったわけではない。それに反しそれは女性にとっては男の奴隷にもなることを意味した。婚姻は全歴史を通じて両性の衝突の宣告と出現するものとなった。

 この論断は「妻」の歴史的形成をよく言い表している。

2011年10月22日土曜日

「孕」 この字を作った発想はすごい 漢字の由来


妊婦の腹の中に子を包んでいる様が形象化されて
いる。金文の中の下部の横線は懐妊中は性交を
禁忌すべきことを表したもの。

 「孕」と「身」はともに同じ由来を持っていて、甲骨文字では同じ構造をしている。従って「孕」という字は「身」の意味を持っている。即ち身重、懐妊の意味である。甲骨文字中で細かく描かれているものは、金文中の中では「子」の形は簡略化され一点になっている。また、下辺に加えられた横線は妊娠期間中は性交を禁じたものである。小篆の「孕」の字は体と「子」から構成されたものである。字形が整えられて、母親の腹の中にいる子供を強調したものである。

「孕」の本義は懐妊である。妊婦のことである。即ち懐妊した女性を指す。《説文》の解釈は、子を包むこと。《庄子・天運》曰く、妊婦は10月で子を産む。いろいろな事を発生することから、生育と似たように捉えて、いわゆる孕育の一語でたくさんの新事物が萌生・発育することを比喩している。例えば、雨は雲の中で孕育するとか新しい文化が旧体系の中で孕育される等など。
胎児は母親の腹の中にあって、自ら包含する意味から、いわゆる孕の字は包孕のように特に包含することに用いられる。

2011年10月20日木曜日

秋は収穫の季節 「米」と「糠」の漢字の由来と起源


  秋は収穫の季節。稲の穂がたわわに実り、田畑が黄金の絨毯の様を呈する時、古人(今も)神に感謝し、収穫の喜びを感じる。

  稲作が日本に伝わってから日本の文化は大きく変わり、縄文式文化から弥生式文化へと変貌を遂げる。今から約2千年前の出来事である。そして米を作り続けて、今日本社会は大きな問題に直面している。今「米」作りを根本から見直す時期に来ているのかもしれない。

甲骨文字の下半分は
横棒一と3つの点で「雨」を表す
    「米」の字は象形文字である。甲骨文字は上下6つの点は米の顆粒を表し、中の横線は風が吹きすぎたさまを表し、米と米ガラの分離を示している。また水の組成の(雨)をいう記号を用いることにより、区別する符号を当てている。小篆の米の字はまさに中間が上下に貫通し楷書の米の字に似たものに代わっている。



糠の字は会意文字である。古文字の中で康と書く。康の字は借用されて、安康、健康の康に用いられる。
(本来殻の付いた穀物は腐りにくく、比較的保存しやすい所から来ている)
 
糠の漢字の由来は「康」
   甲骨文字の康という字は中間部分は篩の類の工具である。上部の「子」は上に上げる意味を持つ。下の4つの点は扇ぎ出された米糠を表す。金文は大体甲骨の形に似ている。ただ篩の形に少し変形している。小篆の字形は篩が二分割され、上に上げた両手に代わっている。中の糠は米に代わっている。隷書を経て、楷書は只一つの字形を留保している。


2011年10月14日金曜日

冬という字は左の様な変遷を遂げている。その起源と由来は石をつなぎとめた形が冬の初めの形であることに少しも疑いはないようだ。冬の甲文の原型は一種の狩りの道具に由来があるようだ。はるか昔の先民は1メートル近い縄の端に石の球をつけそれから縄に着いたこの金槌を力任せに振り回して投げつけ、逃げ回る野獣の両足に絡みつかせて倒して捕獲したり、或いは群れをなして飛ぶ鳥に向かって投げつけ、両方の意思が旋回しながら飛ぶことで攻撃面積を増やことで飛ぶ鳥を補足し殺していた。

現在ではこの道具を連球と称している。当然この種の工具を使用する最もいい季節は冬である。白雪が土地を覆い、多くの木々の葉が落ち、身を隠す機会の少ない冬場には、この種の捕獲道具は遠くの距離の獲物を捕らえることができる。よって小篆の冬の字は下部に氷を表す2つの点を加えることで、これが凍りつく冬の地上で使える特殊な効能を表している。

 唐漢氏は、この甲骨、金文の冬の字を、女性の妊娠の終わりの意味が込められていると見る。甲文は胎児と胎盤がへその緒で繋がっている形に見える。胎児と胎盤が産門から出た後すぐに育て生むことを終結させる。昔の人にあっては、嬰児が暖かな母体の中から生まれ出た後、最初の感覚は冷たいということであったろう。

太古の先民は万物がきびしい中にあって、冬の季節の概念を獲得するのはきっと早かったことだろう。この時期は寒さと飢餓を伴っていた為に、この種の感覚はきっと鋭く深刻であったろう。而して明確なこの文字を用いてこの季節を表現するようになってきたと考える。しかしこれは少し後の事情かもしれない。


「三体石経」(冒頭のバナーの中で「古文」で表示)の中にある字を作っている。これは胎盤と胎児がつながっている図形の中に「日」を加え、冬を独立させ、冬は純粋に時間の概念となった。

小篆では、日がなくなり、氷の記号を加え冬の字の形が整えられ、楷書では「冬」となった。こうして冬はつくりが加えられ、一年の終わりを表している。

白川静先生は常用字解の中で、『象形。編み糸の末端を結びとめた形。甲骨文字・金文の字形は末端を結びとめた形であるが、後にその下に氷を加えて、冬となった。冬がその音を借りる仮借の用法で四季の名の「冬」に用いられるようになって、糸の末端を示す糸へんを加えた終の字が作られた。冬は終りのもとのじである。』と解説されている。

唐漢氏の解釈はいささか飛躍したものの様な感じがしないわけではない。一方白川先生の解釈では、末端を結び止めた形の字氷を加えて冬が出来た所までは理解できるが、糸をつなぎとめたものと冬とがどう結びつくのか、理解できない。白川先生はもう少しそのあたりを説明されているのかもしれないが、私の不勉強でそこまでは読み解けない。

2011年10月11日火曜日

秋の部首「禾」はいかなる出生の秘密

禾という字の甲骨文字、金文は皆熟した穀物の様である。下部は根、中部は葉、上部は一方に垂れた穀物の穂である。古文の字を作った意味は見て分かるように、穀物で、まさに完全な形状をなしていて、本義は穀物を表す。
説文によると、禾を解釈して、よく実った穀物のこと。二月に生え始め、8月に熟し、時を得るうち、これ禾というなりとある。

ここで禾は実際は粟のことを言い、粟を脱穀したもになり、これが古代では主食であった。これは猫じゃらしが穀物として成功したものだ。中国東北地方の旱作農業地域では主要な糧食であった。殷商の時代には広くいきわたり、産量が最大の糧食作物になっていた。秦の時代には禾は穀物を指し、もっぱら粟のことを指していた。それ以降粟は穀物産物の総称になった。
秋の字はこの禾と野山が黄色に染まって火のようになるということから造られた会意文字である。

2011年10月1日土曜日

秋はどこか物悲しいとよくいわれるが、実りの秋、収穫の秋、食欲の秋、天高く馬肥ゆる秋と巷では、およそ物悲しいという雰囲気と異なる言葉が飛び交っている。

 確かに秋の紅葉の美しさを歌い上げた和歌 「嵐吹く 三室の山の紅葉葉は 龍田の川の 錦なりけり」という歌には物悲しさは微塵もない。芭蕉の「秋深き 隣は何を する人ぞ」の俳句にもあまり物悲しさは歌い込まれていない。ではこの物悲しさは誰が言い始めたであろうが。少し後世になって、インテリゲンチア層が出現してからのことではないだろうか。

  さてこの秋という字は如何にして生まれたのだろう。
 秋の字は甲骨文字の中ではコオロギである。有るものはキリギリスの形という。その発音はコオロギの鳴き声にたとことから来ている。図の示すところによれば、その形はこおろぎの非常によく似ている。発音は鏡像を組み合わせたような前脚と、形のはっきりしている2つの長いひげと強い後ろ脚など、本当に古人の絵の天才ぶりには驚かされる。このことから、我々は一歩推理を進めざるを得ない。殷商の民族は蟋蟀を闘わせるのを好んだのだ。

 この文字を見たとき本当に面白いなと感じ入ってしまった。このじっくりと見た観察眼とそれでもって秋を表した生き生きした感性が伝わってくるようでうれしくなってしまった。

 しかし少し後世になると、この直接的な感じ方が少し異なる方向に向くようになった。おそらく農耕の発展が跡付けられ、秋はそれとの関連で捉えられるようになったといえる。金文から小篆への文字の変化には古代の人々の認識の変化が文字の変化となって現れているように思える。

 間違いなく、秋は収穫の季節であり作物は黄金色を呈し、あたかも火が燃えるがごとくである。この為秋は火と禾で構成される原因になった。「野客丛談」曰く「物熟すを秋という、秋は収穫の意味である」。秋の字のはじまりは相互にかみ合うことであり、勝者は得意に鳴き、敗者は逃げていくコオロギである。但しとどの詰まるところ、秋とこの時節の概念の発生は強い関係があり、農作物が成熟し収穫のあり様を示している。

 この忙しい世の中で、少し頭を休めて蟋蟀の音に耳を傾けて見られてはどうだろう。しかし多くの都会人にはそのような自由も許されていないかもしれない。

 その様な方々に一句献上しよう 「コウロギも 田舎も遠く なりにけり」 (白扇)

 所変われば品変わるというが、この甲骨文字の解釈にもいろいろな解釈があるようで、ある人はこれはコウロギではなくて蝗だという方もおられる。そして蝗の食害を防ぐ目的で、蝗を焼いて儀式をしたという解釈である。確かにこの解釈も十分ありうると考えている。

  

2011年2月10日木曜日

十二支の始まり

子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥は地支、十二文字は殷商時代すでに天干と相交えて日にちを表していた。
安陽殷墟の小さな村で発見された、甲骨文字が刻まれた「甲子年表」はほぼ中国で最も早くカレンダーが順序どおり並べられていたことが知られている。出土した商代の甲骨文は多数のすべて、干支で日にちが記され商代には、すでに干支で日にちを記す方法が行き渡っていた。しかし、地支「十二支」の形と意味は今日に至るまで、諸説紛々としており、いまだ共通認識にいたっていない。

2011年2月6日日曜日

今年は「卯」年

今年は「卯」年
今年は辛卯(かのとう)である。この十干十二支の考え方は中国から伝わってきたもので、中国においても当然広くいきわたっている。この計算法によると、60年で一巡することになる。日本で還暦と称し、赤いちゃんちゃんこを着て祝う慣わしもここから出ている。


さてこの、卯と言う字の由来はいかなるものであろうか。「仰ぐ」の「仰」とは似ていて紛らわしいが異なる字で、自ずとその由来も違ってくる。

「卯」は『史記』や『漢書』によると「茂る」や「冒」(ぼう:おおうの意味)で、草木が地面を蔽うようになった状態を表しているとされる。

「字統」では、「牲肉を両分する形。卜辞に犠牲を卯(ころ)す意に用いており、それが字の初義である」とあるようで、この解釈が日本では優勢のようである。


甲骨文字 「卯」
卯(ぼう)は、いけにえの肉を両分する形である。

   一方、わが唐漢氏の解釈によると、これは出産時に嬰児と胎盤が分かれるさまを表現しているという。白川氏の解釈とは「分かれる、分離する」という意味では共通する部分がある。

ただ違うのは、白川氏の解釈の背景には生贄や卜部という宗教的な色彩が非常に色濃いということで、これは氏が「この当時、文字を占有したのは支配者である王が自らの決定を甲骨文字の形で記録に残したものだ」という歴史観に基づいていることからすれば当然のことかも知れない。

 一方の唐漢氏は、この漢字発生の環境を社会的、生活環境に求めている。十二子のそのものが人間の出生の過程をあらわしているのだと主張している。しかし中国の中でもこの考え方は少し奇抜すぎるのではという見方もあり、あまり多くの支持を得ていないように思う。

しかし、これは選挙ではないので支持が多いほうが正しいということにはならないし、もっと基本的なことは、これはどちらが正しいという問題ではないのではないかと思う。おそらくどちらも正しいのではないだろうか。それを読み解くことが、後世に課せられた課題だと考える。

しばらくは混沌とした状態が続くだろう。